「何歳の頃に戻りたい?」

  先日、娘の家に孫の世話に行ったときのこと。学校から帰ってきたYちゃんが、「おじいちゃんは、戻れるとしたら何歳頃の自分に戻りたい?」といきなり聞いてきました。とにかくこの子は、戦国時代や特攻隊など、昔の話が大好きな「歴女」です。その日も書棚をふと見たら、図書館から借りてきた妹尾河童の分厚い「少年H」上・下巻がありましたが、最近読んでいる本は戦後も含め、先の大戦の関係のものばかり。その一環で、70歳を超えたおじいちゃんの回顧談も聞きたい様子です。
  そんなことに興味を持って、それが良いのかどうか。10歳になったばかりの子どもに年寄りが関わり過ぎている弊害が少し出ているのかと心配しつつも、思わず、「戻れるのなら、おじいちゃんは中学生時代に戻りたいな」と答えてしまいました。「ふーん。この間おばあちゃんに聞いたら、『今の生活のほうが楽しいから、昔に戻りたいなんて全然思わない』って言ってたよ」と言いながら、「どうして中学生時代に戻りたいの?」と、また聞いてきました。
  「また妻にいい格好された」と悔しがりつつ、私のほうはあくまで単純ですから、「それはね、友だちといるのが楽しかったから」と答えますと、「どんな友だち?」と畳みかけてきます。で、「EにMにA」と、中学3年の時の同じクラスの特に親しかった友人の名前を挙げると、「その人たちは今どうしてるの?」とのこと。今では年賀状のやりとりだけという付き合いになっていますが、それぞれの現役時代の職業や、現在の様子を簡単に教えてあげました。そして、「とにかく楽しかったのはね、みんな政治や社会や文学に興味を持っていて、毎日、思いっきり議論したりしていたからだよ」と付け加えているうちに、私自身、その時代の思い出が次々と沸いてきました。
  九州の片田舎の中学生のことですから、毎日議論していたといっても、もちろん未熟な、覚え立ての知識を駆使し合っての幼いものであったことは間違いありません。ちょうど日本の高度経済成長の全開の頃で、その分、保守と革新や労使が激しくぶつかり合ったり、公害問題が出てきたりなど、政治や社会問題のテーマには事欠かない元気な時代でした。で、我々4人は、背伸びしたがる年齢特有の、ませた議論ばかりをしていたように思います。
  そして、その背景にあったと思えるのが、学校の図書館からいろんな本を借りてよく読んだ中での、特にドイツの教養小説的なものの影響です。それら小説の主人公と友人たちとの知的な会話やその生き方にあこがれていたのかもしれません。それらの小説には恋愛話も出てくるのですが、わが田舎校にも気になる女子生徒はもちろんいたものの、そこはまだ硬派の時代。我々4人は気にするそぶりをやせ我慢していました。
  学校でつるんでいただけではなく、映画に行ったり釣りをしに行ったりもしました。郊外の沼地で釣ったフナを翌日の弁当のおかずに持ってくることを約束し合って、母親に甘露煮にしてもらったこともあります。この楽しい4人組の付き合いは、Aが某大学の附設高校に入り、他の3人は同じ県立高校に入ってクラスが別れるまで続きました。
  一方、小学4年生のYちゃんの様子を窺っていると、同じクラス等の女子4人で仲間をつくっているようです。家が近かったり、両親が共働きで3年生まで一緒に学童クラブで過ごしたりなど、仲良くなった理由はいろいろのようですが、とにかくよくつるんでいます。学校から帰るとランドセルを放り出してすぐに集まり、一緒に市民プールに泳ぎに行ってその後駄菓子を買っておしゃべりしたり、誰かの家に集まって本を読んだりなど。塾やお稽古事の合間を縫って、少しでもみんなの時間が合ったら集まって過ごす、というのが楽しいようです。
  昔の子供は、大人が介在しなくとも子ども同士で自然に集まって遊んでいましたが、近年は、空き地が少なかったり、車が危なかったり、親が共働きなどの事情があって、子どもだけで遊ぶ年齢が上がってきています。Yちゃんたちの4人組は一緒に電車に乗って出かけることもあるようで、多少の心配はあるものの、友だち付き合いの中で自立心や協調性を育んでいってもらいたい。 
  そして、友だち付き合いだけには限りませんが、中学、高校、大学と進んでいく中で、どの時代もが素晴らしいものとなるよう、ずっと将来にYちゃんが孫から「何歳の頃に戻りたい?」と聞かれたら、選ぶのに困るほどの楽しい時間を過ごしていってくれたらと願っています。