せつない出来事

  先週水曜日の午後4時半頃、私の携帯電話が鳴ったので出たら、いきなりYちゃんの泣きべそ声が聞こえてきました。塾に通う路線バスの中からです。「千円札がない。バスを降りられない」というもので、バスの騒音とも相まってよく聞き取れない部分もあるのですが、私は、「パスモのチャージが足りないのでママに千円札をもらってきて、それをリュックの上に入れてきたのだが、その千円札が見つからない。塾には行けなくなるけど、(循環バスなので)このまま乗って探してもいい?」といった趣旨に理解しました。
  とっさに私は、「どこにもないの?もっとよく探してご覧」と言いつつも、近くでバスの運転手さんらしい男性の「ポケットの中は探した?」などという声もしたので、バスの運転手さんに「お金は明日にでも私が営業所に払いに行くので、その子をもういっぺん乗車した停留所まで乗せていって降ろしてほしい」と頼もうと考えました。塾に近い隣の市のJR駅前バス停で降りたら、塾には行けても、自宅に帰ってくることがことができなくなるからです。で、「Yちゃん、Yちゃん。運転手さんと代わって!」と大声を出すのですが、「どこにもない!どこにもない!」という泣き声が響くばかり。ついには電話がプツンと切れてしまいました。
  さあ、私の心配は頂点にまで達します。Yちゃんの携帯電話はパパとママと自宅のほか私の携帯電話が登録されているので、会社で仕事中のパパやママではなく、ヒマな私にまず掛けたのでしょうが、いかんせん横浜なので駆けつけるわけにはいかない。で、私は、非常事態だから仕方がないと、駆けつけるのには一番近い、娘の夫に事情を携帯メールしました。

  すると、待つこと数分。娘の夫から返信があり、「Yに電話したら通じて、お金は見つかったようです。塾には私が電話して、遅れて着く旨を伝えました。ご心配かけてすみません」とのこと。「よかった、よかった」と喜んで私もYちゃんの携帯に電話を入れたら、今度は通じて、「いま塾に向かって歩いているの。今度会ったときに事情は話すからね。バイバイ」と切られてしまいました。
  しかしその日の夜、娘から電話があって詳しい事情が分かりました。残額が足りないパスモで乗車したのではなく、乗車するときにはパスモを持っていなかった。それにも事情があって、いつもはパスモを入れた財布と塾用のリュックとを鎖で繋いでいるので忘れることはないのだが、たまたま数日前にその鎖が切れてパスモを入れた財布がどこかに行ってしまった。この日、Yちゃんはその財布を探したがすぐに見つからないので、ママが家に置いていたお金から千円借りて裸のままでリュックの中の一番上に載せて出た。バスを降りるときにその千円札を探したけど無かった。
  そして、ここが本当にありがたくて嬉しい話なのですが、泣きながら探してもお金が見つからずに進退窮まっていたところ、どこかのおばさんが「これを使いなさい」と、千円札をくださり、それでバスを無事に降りることができたとのこと。お金が見つかったのではなく、親切な方にお金をいただいて助けてもらったのでした。
  翌日、娘の家に行ってYちゃんに「そのおばさんは何歳くらいの方だった」と聞くと、「ママと横浜のおばあちゃんの中間くらいの人」とのこと。50代くらいの方のようです。それで、そのおばさんにもしまたバスで会ったときにお金を返して感謝の気持ちを伝えようということになり、私の妻が持たせてくれたカードにお礼の言葉を書かせ、ピン札の千円札を同封して、リュックの内蓋にしっかりとしまわせました。このアイデアにYちゃんはすっかり乗り気。どんなお礼の言葉を書いているかなと覗くと、「いつぞやはバスの中で困っている私を助けてくれてありがとうございました。そのとき借りた千円を返します。本当にありがとうございました。SY」とあります。
  「いつぞや」ではなく昨日の日付を書いた方がよいし、助けて「くれて」ではなく「くださって」であり、「返します」ではなく「お返しします」だろうと思いましたが、「いつぞや」は古めかしいけど歴史小説好きのYちゃんらしい表現だし、敬語のことも含め原文のままのほうが子どもらしくてよいと、そのままにしておきました。Yちゃんは封筒にハート型のシールを貼りました。
  今回の件は、本人にも我々にもいくつかの教訓を与えてくれました。まず本人は、そもそもパスモの入った財布が家の中ですぐに見つからなかったのは、「日頃からお片付けをきちんとしていないからよ」と、ママに叱られていました。Yちゃんが持って出てバスの中で不明になった裸の千円札の行方ですが、どうも風で飛ばされたかどこかで落ちたようで、これもYちゃんがもっと工夫をすべきでした。 
  財布とリュックとをつなぐ鎖が切れてそのままになっていたことについては、親の責任。パパが早速修理したようです。第一報を受けた私も動転したのか、やや思慮不足。運転手さんに頼んで駅前バス停で降ろしてもらい、塾に行かせれば、塾の授業は3時間もありますので、その間に娘か娘の夫が塾に迎えに行くことができることに思い至りませんでした。今回は明らかにYちゃんからの電話でしたが、この程度で動転していては、子や孫のニセ声でオレオレ詐欺の電話がかかってきたときに騙されかねません。
  良い面からの教訓としては、なんと言っても、千円札をくださった親切なおばさんの存在がYちゃんに与えた影響だと思います。人の親切に甘えてばかりではいけませんが、今回のようなピンチに受けた親切は忘れられないことであり、人に親切にすることの素晴らしさを学んだことと確信しています。
  それにしても、人生悲喜こもごも、いろんなことが起こります。