ブログ移転

  「まご追い日記」は、永らくこのはてなダイアリーで書いてきましたが、事情によりこのたび、biglobeブログに「まご追い日記Ⅱ」(http://magooi.at.webry.info/)として移転いたしました。もとより、個人の備忘的メモとして書いてきたものですが、引き続きそちらでお付き合いをいただければ誠に光栄に存じます。なお、この初代「まご追い日記」も当分の間、残しておきます。

せつない出来事

  先週水曜日の午後4時半頃、私の携帯電話が鳴ったので出たら、いきなりYちゃんの泣きべそ声が聞こえてきました。塾に通う路線バスの中からです。「千円札がない。バスを降りられない」というもので、バスの騒音とも相まってよく聞き取れない部分もあるのですが、私は、「パスモのチャージが足りないのでママに千円札をもらってきて、それをリュックの上に入れてきたのだが、その千円札が見つからない。塾には行けなくなるけど、(循環バスなので)このまま乗って探してもいい?」といった趣旨に理解しました。
  とっさに私は、「どこにもないの?もっとよく探してご覧」と言いつつも、近くでバスの運転手さんらしい男性の「ポケットの中は探した?」などという声もしたので、バスの運転手さんに「お金は明日にでも私が営業所に払いに行くので、その子をもういっぺん乗車した停留所まで乗せていって降ろしてほしい」と頼もうと考えました。塾に近い隣の市のJR駅前バス停で降りたら、塾には行けても、自宅に帰ってくることがことができなくなるからです。で、「Yちゃん、Yちゃん。運転手さんと代わって!」と大声を出すのですが、「どこにもない!どこにもない!」という泣き声が響くばかり。ついには電話がプツンと切れてしまいました。
  さあ、私の心配は頂点にまで達します。Yちゃんの携帯電話はパパとママと自宅のほか私の携帯電話が登録されているので、会社で仕事中のパパやママではなく、ヒマな私にまず掛けたのでしょうが、いかんせん横浜なので駆けつけるわけにはいかない。で、私は、非常事態だから仕方がないと、駆けつけるのには一番近い、娘の夫に事情を携帯メールしました。

  すると、待つこと数分。娘の夫から返信があり、「Yに電話したら通じて、お金は見つかったようです。塾には私が電話して、遅れて着く旨を伝えました。ご心配かけてすみません」とのこと。「よかった、よかった」と喜んで私もYちゃんの携帯に電話を入れたら、今度は通じて、「いま塾に向かって歩いているの。今度会ったときに事情は話すからね。バイバイ」と切られてしまいました。
  しかしその日の夜、娘から電話があって詳しい事情が分かりました。残額が足りないパスモで乗車したのではなく、乗車するときにはパスモを持っていなかった。それにも事情があって、いつもはパスモを入れた財布と塾用のリュックとを鎖で繋いでいるので忘れることはないのだが、たまたま数日前にその鎖が切れてパスモを入れた財布がどこかに行ってしまった。この日、Yちゃんはその財布を探したがすぐに見つからないので、ママが家に置いていたお金から千円借りて裸のままでリュックの中の一番上に載せて出た。バスを降りるときにその千円札を探したけど無かった。
  そして、ここが本当にありがたくて嬉しい話なのですが、泣きながら探してもお金が見つからずに進退窮まっていたところ、どこかのおばさんが「これを使いなさい」と、千円札をくださり、それでバスを無事に降りることができたとのこと。お金が見つかったのではなく、親切な方にお金をいただいて助けてもらったのでした。
  翌日、娘の家に行ってYちゃんに「そのおばさんは何歳くらいの方だった」と聞くと、「ママと横浜のおばあちゃんの中間くらいの人」とのこと。50代くらいの方のようです。それで、そのおばさんにもしまたバスで会ったときにお金を返して感謝の気持ちを伝えようということになり、私の妻が持たせてくれたカードにお礼の言葉を書かせ、ピン札の千円札を同封して、リュックの内蓋にしっかりとしまわせました。このアイデアにYちゃんはすっかり乗り気。どんなお礼の言葉を書いているかなと覗くと、「いつぞやはバスの中で困っている私を助けてくれてありがとうございました。そのとき借りた千円を返します。本当にありがとうございました。SY」とあります。
  「いつぞや」ではなく昨日の日付を書いた方がよいし、助けて「くれて」ではなく「くださって」であり、「返します」ではなく「お返しします」だろうと思いましたが、「いつぞや」は古めかしいけど歴史小説好きのYちゃんらしい表現だし、敬語のことも含め原文のままのほうが子どもらしくてよいと、そのままにしておきました。Yちゃんは封筒にハート型のシールを貼りました。
  今回の件は、本人にも我々にもいくつかの教訓を与えてくれました。まず本人は、そもそもパスモの入った財布が家の中ですぐに見つからなかったのは、「日頃からお片付けをきちんとしていないからよ」と、ママに叱られていました。Yちゃんが持って出てバスの中で不明になった裸の千円札の行方ですが、どうも風で飛ばされたかどこかで落ちたようで、これもYちゃんがもっと工夫をすべきでした。 
  財布とリュックとをつなぐ鎖が切れてそのままになっていたことについては、親の責任。パパが早速修理したようです。第一報を受けた私も動転したのか、やや思慮不足。運転手さんに頼んで駅前バス停で降ろしてもらい、塾に行かせれば、塾の授業は3時間もありますので、その間に娘か娘の夫が塾に迎えに行くことができることに思い至りませんでした。今回は明らかにYちゃんからの電話でしたが、この程度で動転していては、子や孫のニセ声でオレオレ詐欺の電話がかかってきたときに騙されかねません。
  良い面からの教訓としては、なんと言っても、千円札をくださった親切なおばさんの存在がYちゃんに与えた影響だと思います。人の親切に甘えてばかりではいけませんが、今回のようなピンチに受けた親切は忘れられないことであり、人に親切にすることの素晴らしさを学んだことと確信しています。
  それにしても、人生悲喜こもごも、いろんなことが起こります。

「何歳の頃に戻りたい?」

  先日、娘の家に孫の世話に行ったときのこと。学校から帰ってきたYちゃんが、「おじいちゃんは、戻れるとしたら何歳頃の自分に戻りたい?」といきなり聞いてきました。とにかくこの子は、戦国時代や特攻隊など、昔の話が大好きな「歴女」です。その日も書棚をふと見たら、図書館から借りてきた妹尾河童の分厚い「少年H」上・下巻がありましたが、最近読んでいる本は戦後も含め、先の大戦の関係のものばかり。その一環で、70歳を超えたおじいちゃんの回顧談も聞きたい様子です。
  そんなことに興味を持って、それが良いのかどうか。10歳になったばかりの子どもに年寄りが関わり過ぎている弊害が少し出ているのかと心配しつつも、思わず、「戻れるのなら、おじいちゃんは中学生時代に戻りたいな」と答えてしまいました。「ふーん。この間おばあちゃんに聞いたら、『今の生活のほうが楽しいから、昔に戻りたいなんて全然思わない』って言ってたよ」と言いながら、「どうして中学生時代に戻りたいの?」と、また聞いてきました。
  「また妻にいい格好された」と悔しがりつつ、私のほうはあくまで単純ですから、「それはね、友だちといるのが楽しかったから」と答えますと、「どんな友だち?」と畳みかけてきます。で、「EにMにA」と、中学3年の時の同じクラスの特に親しかった友人の名前を挙げると、「その人たちは今どうしてるの?」とのこと。今では年賀状のやりとりだけという付き合いになっていますが、それぞれの現役時代の職業や、現在の様子を簡単に教えてあげました。そして、「とにかく楽しかったのはね、みんな政治や社会や文学に興味を持っていて、毎日、思いっきり議論したりしていたからだよ」と付け加えているうちに、私自身、その時代の思い出が次々と沸いてきました。
  九州の片田舎の中学生のことですから、毎日議論していたといっても、もちろん未熟な、覚え立ての知識を駆使し合っての幼いものであったことは間違いありません。ちょうど日本の高度経済成長の全開の頃で、その分、保守と革新や労使が激しくぶつかり合ったり、公害問題が出てきたりなど、政治や社会問題のテーマには事欠かない元気な時代でした。で、我々4人は、背伸びしたがる年齢特有の、ませた議論ばかりをしていたように思います。
  そして、その背景にあったと思えるのが、学校の図書館からいろんな本を借りてよく読んだ中での、特にドイツの教養小説的なものの影響です。それら小説の主人公と友人たちとの知的な会話やその生き方にあこがれていたのかもしれません。それらの小説には恋愛話も出てくるのですが、わが田舎校にも気になる女子生徒はもちろんいたものの、そこはまだ硬派の時代。我々4人は気にするそぶりをやせ我慢していました。
  学校でつるんでいただけではなく、映画に行ったり釣りをしに行ったりもしました。郊外の沼地で釣ったフナを翌日の弁当のおかずに持ってくることを約束し合って、母親に甘露煮にしてもらったこともあります。この楽しい4人組の付き合いは、Aが某大学の附設高校に入り、他の3人は同じ県立高校に入ってクラスが別れるまで続きました。
  一方、小学4年生のYちゃんの様子を窺っていると、同じクラス等の女子4人で仲間をつくっているようです。家が近かったり、両親が共働きで3年生まで一緒に学童クラブで過ごしたりなど、仲良くなった理由はいろいろのようですが、とにかくよくつるんでいます。学校から帰るとランドセルを放り出してすぐに集まり、一緒に市民プールに泳ぎに行ってその後駄菓子を買っておしゃべりしたり、誰かの家に集まって本を読んだりなど。塾やお稽古事の合間を縫って、少しでもみんなの時間が合ったら集まって過ごす、というのが楽しいようです。
  昔の子供は、大人が介在しなくとも子ども同士で自然に集まって遊んでいましたが、近年は、空き地が少なかったり、車が危なかったり、親が共働きなどの事情があって、子どもだけで遊ぶ年齢が上がってきています。Yちゃんたちの4人組は一緒に電車に乗って出かけることもあるようで、多少の心配はあるものの、友だち付き合いの中で自立心や協調性を育んでいってもらいたい。 
  そして、友だち付き合いだけには限りませんが、中学、高校、大学と進んでいく中で、どの時代もが素晴らしいものとなるよう、ずっと将来にYちゃんが孫から「何歳の頃に戻りたい?」と聞かれたら、選ぶのに困るほどの楽しい時間を過ごしていってくれたらと願っています。

2017夏④ 「おうちゼミ」

  ママがフルタイムの就労をしたため、去年から保育園に通うようになったKくん。私が応援に行く時以外は基本的に平日の朝8時から夕7時頃まで保育園にいるので、姉のYちゃんや従姉のLちゃんの幼稚園時代と比べて、習い事をあまりしていません。 土曜日にはパパのテニスにくっついていってキッズクラスでテニスを習い、日曜日はママが工作好きのKくんをクラフト教室に連れて行っていますが、ピアノや水泳、公文といった今どきの子どもの定番の習い事や、お受験塾的なものにも通っていません。
  すべては来年小学校に入ってからということで娘夫婦はあまり気にしていないようですし、私も習い事の代わりに保育園で友達との遊びの中で自然と身に付けるコミュニケーション能力や社会性なども貴重なものだと思っています。習いごとをしないからといって運動能力や知力が遅れているわけでもなく、自転車は補助輪なしでどんどん乗れますし、将棋は保育園でも強いほうらしい。実際、角の使い方が巧いし、子どもとしては珍しく、3手くらい先まで読んで指しています。
  そして、この夏休みにYMCAの水泳教室参加のために我が家に1週間来たときに知ったのですが、Kくんは数ヶ月前から某大手通信教育の「おうちゼミ」なるものをやっていて、これがKくんのような環境の子どもにピッタリだとうれしくなりました。

  小学1年生用をやっているのですが、国語、算数、理科、社会の4教科の問題集が1課1頁ずつ入っている結構分厚い紙のテキストがあり、基本的にはこれをやっていくのですが、このシステムの特長は、タブレットスマホを使って、テキストの進行管理や動画による学習理解の手助けがあるところ。保護者向けの動画もあります。受講者のID登録をして予めアプリソフトをダウンロードしておけば、インターネットとつながり、紙版のテキストと連動して1課ずつ学習を進めていくことができます。
  宣伝文句にあるように、「書くことなど『紙でしかできない学び』と、 授業動画・キャラ育成アプリなど『紙にはできないサポート』を融合した、新しい学び」というわけです。日頃は孫たちに使用制限をしている私のiPadを、「おうちゼミ」をやるときだけはKくんに貸してあげると、Kくんは器用に画面にタッチしながら学習を進めていきます。
  私が感心したのは、動画による科目理解のための説明がよくできていて、子どもだけで学習していても分かりやすいところ。1課10分以内の学習時間を想定してあるのですが、これが1課5、6題の問題を解くのに余裕がある設定で、子どもに速く解くことだけを強いたようになっていないところ。算数の問題では、Kくんは指を10本、フル動員して計算しています。紙のテキストには最後にまとめの問題もあり、それを解いてタブレット画面の正解の番号に触れると正解のマークとピンポーンという音がして、楽しさを盛り上げます。
  このように分かりやすく楽しく学習できるシステムのため、Kくんは進んでテキストを取り出し、1回で4課程度はこなしているようです。勉強は親の強制ではなく、自主的に取り組む姿勢が結局は一番大事なことであり、結構なことだと思っています。昔、私の息子と娘の頃には、赤ペン先生と郵便でやりとりしながら進める通信教育システムがありましたが、これらのシステムも時代と共に進化していくようです。

2017夏③ 「自由研究」

  小学4年生のYちゃんの学校から出された夏休みの宿題は、各教科の問題が詰まった「夏休みワークブック」、毎日の行動を1行で記録する「1行日記」、その中で一番印象深かった一日分だけを書く「絵日記」、浜田広介の童話の「読書感想文」、それと「自由研究」だそうです。
  絵日記が1日分だけでよいなど、子どもと先生両方の負担を軽減したものもありますが、基本的な構成は昔と同じような気がします。Yちゃんは既にワークブックと読書感想文についてはメドをつけ、残る大物は自由研究だけ。
  自由研究というのは、要するに自分で関心があることについて長い休みの期間にさらに理解を深め、それを制作物にしたり、レポートにしたりすることのようです。私が子ども時分には、いろんな種類のセミやトンボ等を捕まえて空き箱に綿を敷いた上にピンで留めた「昆虫採集」や、同様に作った「貝殻集め」などが定番でしたが、最近は大分様子が違っているようです。
  Yちゃんのクラスでは、裁縫や料理などの「家庭科系」や、植物の成長や星の観察などの「自然科学系」の子が多いようです。で、我が家に預かっている間に完成させる責任があるのでYちゃんに予定を聞いたら、最初は「戦国時代の女性たち」についてまとめたいと言っていたのが、つい先日は、「特攻」についてにテーマを変えたとのこと。いずれも「社会科系」ですが、「特攻」についてはびっくりしました。
  戦国時代の女性云々は、NHKTVの大河ドラマ「おんな城主直虎」の影響であることは明らかです。我が家は大河ドラマは全然観ていなかったのですが、Yちゃんが来てから一緒に観るとこれが結構面白い。本人は以前から、このTV番組の他、漫画本の「戦国姫」シリーズや「関ヶ原の戦い」のような戦国物の漫画や子ども向けの本を夢中で読んでいましたし、パパに車で関東周辺のお城や史跡見学にあちこち連れて行ってもらってもいました。
  私は、主君に忠実な者ばかりではなく、寝返ったり、裏切ったりする者がいたり、幼い跡継ぎが殺されたりするような話が多い戦国物はあまり好きではないのですが、まあこのようなところから歴史に興味を持つようになるのもよいかと、Yちゃんの戦国物好きを見守ってきました。
  そして実際、Yちゃんは歴史大好きな子となり、最近は今次大戦に大きな関心を持つようになってきました。「おじいちゃんは戦争のこと覚えている?」と聞くので、「赤ん坊だったから全然覚えていないけれど、戦後の大変な時代のことはよく覚えているよ」と、お父さんを戦争で亡くした友だちがいたこと、給食に出た米軍払い下げの脱脂粉乳がまずくて飲めなかったことなど、小学生時代の話をしてあげました。
  「戦争に行った人」の話も聞きたがるので、当時北海道に住んでいて召集された妻の父親が、実際には道内のどちらかの海岸線を守る兵隊の一人だったようですが、「おばあちゃんのお父さんはソ連軍と戦ったんだよ」などと適当に言うと、深刻な顔をしています。
 そして、Yちゃんの関心は「特攻」にまで及んだのですが、どうやらこれも歴史関係の本を読んだり、TVを観たりした影響のようです。「永遠の0」や「はだしのゲン」も知っていました。
  最近、9条も含め、憲法改正が既定の話のように論じられていますが、憲法を学んだ学生時代以来、平和憲法として現憲法を大切に考えてきた私にはとても違和感があります。ただ、昨今の世界情勢の中で日本の安全や世界の安定をどう図っていくかも重要なこと。憲法改正の是非は、私にとっては明快な解が出しにくい問題ですが、いずれにしても近現代史を踏まえて十分議論する必要があると思っています。
  そのようなことまで思いを巡らしていると、近現代史の中で最も悲惨な出来事であった今次大戦の、その中でもシンボル的なものの一つであった「特攻」についてどう考えたらよいのか、私には次のようなことが浮かんできます。すなわち、
  昭和初期の頃から統帥権の独立の名の下、軍部が暴走して日中戦争や対米英開戦に踏み切って、勝てる見込みのない泥沼の状況に陥らせ、その中で特攻という狂気の作戦まで採って多くの若者を死なせた。一方で、特攻で逝った人たちの遺書を読んだりすると、国や故郷や家族を思う気持ちの崇高さに胸を打たれ、この人たちの死が全く無意味であったかのようには語れない。
 零戦(インターネットから)
  また、その当時の世界を見ると、欧米各国のアジアやアフリカなどの植民地化や帝国主義的侵略の事実があったことも間違いない。戦争遂行の場面を見ても、東京大空襲や二度にわたる原爆投下による一般市民の大量殺戮など、アメリカの現在も続く横暴もあった。
  そのようなことを考えると、先の大戦の敗戦までの我が国における軍部の暴走と、それを許した国家機構のあり方など、日本は大きな過ちを犯してきて、これを二度と繰り返してはならないが、その当時の日本を全否定することができない気持ちも残る。しかし、過ちを繰り返さないためには全否定しなくてはならないのかもしれない、等々。
  ということで、特攻をどのような視点でどう総括するのか。おじいちゃんの乏しい知識や世界観ではYちゃんの自由研究へのアドバイスも手伝いもできないので、自由研究で特攻をテーマとすることを止めてもらいたいというのが本音です。
  歴史好きとなったYちゃんに、正しい歴史観を持ってもらうよう、国民的歴史小説家の司馬遼太郎が書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」を先日、プレゼントしました。子どものために司馬遼太郎が初めて書いた本です。
  我が国の近現代史には、韓国併合により韓国民から千年は消えない恨みを買ってしまったことや、中国に進出して中華思想を持つ大国の誇りを傷つけてしまったこと、そのため、現在に至るも両国との関係がぎくしゃくしているという大きな負の部分もあります。
  我々の世代はともかく、孫たちの世代までにはこの問題が解決して日中韓の国民が仲良く暮らしているよう、そして世界の恒久平和が築かれているよう、期待してやみません。

2017夏② 「チェロが我が家にやってきた」

  クラシック音楽に関しては素人同然の我が家ですが、この夏はクラシック音楽をやや身近に感じることができました。というのが、半年ほど前からチェロを習い始めた孫のLちゃんが、YMCAの水泳教室に参加するために1週間我が家に滞在したときに、チェロを持参してやってきたからです。
  プロのピアニストのママが、一日も練習を休まないようにと、Lちゃんと一緒に楽器一式と、自分で吹き込んだ音程チェックと伴奏用のピアノ曲が入ったiPhoneを持って来て、「午後と夜の2回練習させてください。チェロの扱い方は本人がよく知っていますから」との依頼。実際、ママのコネでやっとお願いしたLちゃんのチェロの先生は、某有名オーケストラのチェロ奏者の方で、レッスンが厳しいので、練習を欠かせないようです。
  で、どうなることやらとの心配は一切無用でした。Lちゃんが練習を始めると言うと、まず私が椅子とチェロ、譜面台、演奏姿勢を鏡に写してチェックするための姿見を配置。その後LちゃんがiPhoneを準備したり弓に松ヤニを塗ったり、チェロの先の金棒をストッパーに充てがって固定したりの準備をしてスタンバイ。目配せをすると、YちゃんかKくんがiPhoneの画面の△に触れて伴奏がスタート。それに合わせてLちゃんの弾く妙なる調べ(?)が流れ出します。

  のこぎりの目立ての時の音のようにもやや聞こえます(!)が、間違いなくチェロの重低音です。曲はウエルナーの練習曲やシューベルトの楽曲など。意外と音量があります。我々はソファに座り、1曲終わる毎に拍手。ママの伴奏が録音ではなく、我が家の古ピアノでの生演奏なら、完全にホームコンサートの雰囲気です。
  コンサートと言えば、毎年7月半ばに開かれるピアノの発表会を我々も聴きに行きましたが、その時Lちゃんは、ピアノの他にチェロの演奏も披露しました。これがチェロの初舞台かと思っていたら、その少し前にもママの友人の持つ音楽サロンでバイオリンの子どもたちとの共演もしており、写真で見ると、なかなか本格的な演奏風景です。こうしてあちこち人前で演奏をしていたら、舞台度胸が付くでしょうし、その度胸は、音楽演奏に限らず人生の様々な場面で生きることではないかと期待しています。
  息子夫婦に言わせると、ピアノもチェロもあくまで趣味としてやらせており、音楽家にするつもりはないとのこと。それでよいと思いますが、こうして音楽を楽しめていることは、Lちゃんがお受験を頑張って、この春無事に某国立大学の附属小学校に入ったお蔭ともいえます。
  それは、一つには当面、高校や大学受験までは、いわゆる受験勉強にガツガツ頑張らずに学校の授業に真面目に取り組んでいけばよいというゆとりを得たことと、もう一つは、この学校に入るまでのお受験で物事に集中して取り組む力を得たということです。
  実際、Lちゃんは我が家に来てからも学校の宿題やピアノやチェロの練習を自分から決まった時間に積極的にやる習慣が身についていました。水泳教室で、向こうまで泳いでいったら、ほとんどの子がロープを伝わって歩いて戻ってくるのに、Lちゃんは逆コースを必ずまた泳いで戻ってきていて、些細なことですが、このような頑張る習慣が自然に身についたのだなと感心しました。
  小さな子どもの過酷なお受験体験に懐疑的な私でしたが、結果が出たから言えることかも知れませんが、良い面もあるというのが現在の結論です。そのような意味で、従姉となるYちゃんの中学受験に向けたお受験も温かく応援していきたいと思っています。

2017夏① 「孫三昧」

  今年は、ここ数日間だけは別ですが、孫三昧の夏を過ごしています。というのが、まず、7月下旬から8月下旬まで、共働きの娘のところのYちゃんを我が家で預かっていること。小学4年生になったので学童クラブの利用ができず、長い夏を日中1人で過ごさなければならないため、夏休み中、我が家で預かって過ごさせているからです。もっとも、パパとママがお盆休みの11日から20日までは家に戻っており、現在は河口湖に滞在中です。
  もうひとつ、Yちゃんの弟のKくんと、息子のところの一人娘Lちゃんも8月上旬の1週間、我が家に預かり、こちらのYMCAの水泳教室に通わせました。孫が3人そろい踏みの期間の我が家の賑やかさといったらありませんでした。Lちゃんは、この後、8月下旬にもYMCAの富士山キャンプに参加するので、その前後にも我が家に来る予定です。

  Yちゃんは滞在中は我が家で何をしているかというと、毎日午前中いっぱいは、お受験塾の夏期講習に通うのが日課。このお受験塾は首都圏に多数の校舎を持ち、日頃は自宅のある多摩のほうの校舎に通っているのですが、夏期講習だけ祖父母宅から横浜市内校に通っているという次第です。電車で一駅の校舎までは主に私が送迎。ついでに教科の復習や宿題も本人から要請があれば見てやりますが、国、社、理はともかく、算数には結構手こずるため、この教科だけは半世紀超も前にお受験塾に通っていた私の妻に任せています。
  夏期講習通いとその復習などで過ごす時間以外、Yちゃんがいろいろな体験をするようにも工夫をしています。妻から料理を教わったり、子ども囲碁・将棋教室の生徒と将棋の対局をしたり、私の友人等が主宰する野鳥の写真展に行って野鳥のことをいろいろと教わったり、影絵劇団の公演を観に行ったりなど。鎌倉の史跡巡りもしたいと思っています。
 まだ続行中ですが、この夏休みに孫3人と初めて濃密な時間を過ごして、改めて現在の子どもたちの特性や社会環境の変化がつかめた気がします。以下は、3人の孫別に見たその報告です。