敗北

  昨日(7月2日)には、大きな敗北(他方から言えば勝利)が相次ぎました。まず、東京都議会議員選挙で自民党が57議席から23議席へと半分以下に、民進党が15議席から5議席へと3分の1まで落ちてしまったことです。両党とも相当の反省をしなければなりません。
  もう一つの敗北は、藤井聡太4段が30連勝ならず、佐々木勇気5段に善戦はしたが敗れたことです。私は、連勝を続けるということは大変な緊張が続くことですから、藤井4段のためにも、適当なところで途切れた方がよいなと思っていました。そして、敗れるならその相手は佐々木5段がよいし、そうなるのではないかと思っていました。佐々木5段は、民放TV局が「ストーカー」と揶揄していたように、最近の何局か、対局室の片隅で藤井4段の勝負を注視し続けるなど、闘志を燃やしていたからです。このくらいに気合いの入った、かつ、年も近いライバルがいたほうが、今後の藤井4段の励みにもなるはずです。
  それにしても、藤井4段の出現は素晴らしいことです。彼が対局途中で食べる勝負メシが毎回話題になったり、毎回持ってくる青いリュックと同じブランドのリュックの売り上げが急増したり、将棋連盟が販売する記念グッズが毎回完売するなど、これほど将棋人気が盛り上がったことはありません。
  日本の伝統的文化として囲碁とともにずっと受け継がれていってほしいと、「子ども囲碁・将棋教室」を1年前からボランティアで開催している私にとっても、うれしい限りです。そして、プロ棋士にして中学生でもある藤井くんに対して市井の片隅から希望することが3つあります。
  まず第1は、デビュー以来の連勝記録が途切れたこれからこそが、正念場であること。中学生棋士としてデビューした錚々たる先輩たち、例えば、毎年昇段して18歳でA級8段となった加藤一二三九段、17歳で棋王戦タイトル獲得、18歳で最優秀棋士賞を受賞した羽生善治3冠、20歳の最年少記録で竜王位に就いた渡辺明竜王、21歳で史上最年少名人となった谷川浩司九段などの偉業をさらに越えるような活躍を見せてもらいたいと思います。
  第2の希望は急に現実的になりますが、5歳の時に将棋を始めて、みるみるうちに強くなった足跡を振り返るような手記を出してもらいたいことです。詰め将棋をとことんやったことが良かったという話は聞きますが、祖父母や将棋教室の師匠等からはどのような形で教わってきたのか、子どもが将棋が強くなるために大人はどのような指導をするのが良いのかのヒントを得たいのです。
  第3の希望は、プロ棋士、それもタイトルを取るような強い棋士と学業とをぜひ両立していってもらいたいということです。中学生棋士の先輩を見ると、羽生3冠は出席日数が足りずに都立高を3年で中退(但し、通信制高校に転じて高卒資格は取得)とやや苦労はしたものの、加藤一二三9段は早稲田大学第2文学部中退、渡辺明竜王は私立の中高一貫校を卒業と、しっかり学んでいます。米長邦雄永世棋聖は、プロ入りは中央大学在学中ですが、棋士を続けながら東京都教育委員などの社会貢献もしています。
  藤井くんは名古屋大学教育学部付属中学校生で、高校まではそこに行くのでしょうが、東京や大阪の将棋会館に通うのがやや大変かと思います。それでも周りがよくサポートして(出席日数とかもあまり杓子定規に言わないで?)無事卒業し、できればそこかどこかの国立大学に入ることができれば、さらなる快挙となります。
  夏休みに我が家では、3人の孫を忙しい親に代わって少しの期間ですが預かり、塾の夏期講習やキャンプ等に参加させることになりました。その機会を利用し、藤井効果も最大限に活用しながら、近所の子どもも交えた将棋大会を開くのが今から楽しみです。

現代保育事情

  孫のKくんが通う保育園には大変お世話になっているところですが、ここも含め保育園というところは、子どもを長時間預かって親に代わって保育をするのが主目的のため、子どもを安全に過ごさせるということ以外に、就学前教育的なことは特段何もなされていないようです。
  姉のYちゃんの幼稚園は、毎月1回は高尾山を麓から登り、卒業登山では八ヶ岳の2千メートル級の連峰を登り切るような鍛錬をする園でしたし、従姉のLちゃんの幼稚園は、ネイティブから英語を教わったり、体操教室があったりと、多彩な幼児教育をしていました。おまけに、二人とも、幼稚園から帰ってきたら、ピアノや水泳や公文などの習い事にも行っていたので、土曜日にキッズテニスに通うだけのKくんは、母親が就労したあおりをだいぶん受けていることになります。
  待機児童問題をはじめ、Kくんにも関係する保育の「質」の問題など、現代保育事情について気になっていたところですが、最近私は、東京都内で保育実践を行っている3人の事業者の方々から話を伺う機会があり、だいぶん状況が分かってきました。以下はその概要です。
  まず、保育園に通っている子どもは教育を受ける機会が保障されてないのかというと、「教育」の定義にもよりますが、国が定めた保育所保育指針には「保育所は、子どもの状況や発達過程を踏まえ、保育所における環境を通して、養護及び教育を一体的に行う」とあり、普通の認可保育所でも教育を行うのが大きな目的の一つであることを知りました。
  ある認可保育所の園長さんの話では、その園では、音楽プロジェクトとして子どもたちの鼓笛隊や合唱隊をつくって様々な機会に発表させたり、体育プロジェクトとして園庭を目一杯使って体操を教えたり運動会をしたり、その他、造形や食育のプロジェクトもあるということでした。そして、それに携わるのは、それぞれその分野が得意な職員だそうで、園は職員の得意分野を伸ばせるようにバックアップしているとのことでした。
  次に、ある認証保育所の経営者の話では、東京都が16年前に制度化し、設置を進めてきた認証保育所は、その後の国の保育制度の見直しにつながり、他の自治体にも波及しましたが、保育の質の面も含めて、認可保育所とは違った良さもあるようです。
  すなわち、認証保育所は、0〜2歳児保育や保育時間の延長が進まない認可保育所を補完するものとして、長時間保育(早朝から13時間以上)や0〜2歳児保育の実施、保護者との直接契約、通勤に便利な場所への設置などを謳って、民間企業の参入により設置が進んできましたが、最近は、その地域性や小規模性、保育の質へのこだわりと独自のサービス・プログラムの実施などを評価する保護者等も多く、わざわざ認証保育所を選ぶ保護者もいるそうです。保育料も、ほとんどの自治体が認可保育所との差額を助成しているとのこと。
  話をした経営者の設置する認証保育所では、帰国子女や大学院卒の保育スタッフも多く、国際性やコミュニケーション能力の涵養が教育方針のようでした。連絡帳のデジタル化やライブカメラの活用による保護者への安心の提供など、ITを駆使しているのにも感心しました。
  また、近年できた認定こども園の1形態である幼稚園型認定こども園の園長の話も伺いましたが、その園では、それまでの幼稚園の敷地内に建物を分けて保育部門を設け、早朝、保育部門に通ってきた子は、9時から14時までを隣接する幼稚園で過ごし、14時からはまた保育部門に戻ってくるとのこと。
  保育部門を出て幼稚園に行くときには制服に着替え、保育部門に戻ったときにはまた脱ぐ、担当職員はそれぞれ別の職員に分ける、などの工夫もしていますが、これは、社会生活(幼稚園)と家庭(保育部門)の時間を分ける狙いがあるようです。この幼稚園には宗教がバックボーンとしてあるのですが、公教育を担う私立幼稚園として、私学の独自性を大切にするとともに、国の幼稚園教育要綱に沿って、独善性に陥らないように気をつけているとのことでした。

  以上、それぞれ制度の仕組み等は異なっても、どの現場でも、子どもの保育の質を高めるための工夫や努力がなされていることがよく分かりました。
  なお、乳児から就学前まで子どもたちが過ごす場としては、以上の3パターンのほか、企業内保育所、家庭的保育室(保育ママさん制度)、居宅訪問型保育(ベビーシッター)、病児保育、児童発達支援センター(障害児の療育)など多様にあって、数も増えてきているようです。
  現代の保育事情をあれこれと知って、結論として私は、待機児童の解消や保育の質の向上の課題について、次のように考えました。
  まず、現実的な対応として、就労などにより子どもの保育の場の確保が必要になった場合には、多様なパターンの保育の場が整備されつつあるので、認可保育所にこだわらずに、選択肢の幅を広げて検討すること。そしてその保育の場の質の問題については、状況に合わせて自分たちでカバーする努力をするしかないということです。例えば、保育園では幼稚園のように文字を教えてくれなくて不安であれば、週末に自分たちで教えたり、通信教材を取ったりする方法もあります。
  次に、課題の解決として本質的に考えなければならないこととしては、例えば待機児童の問題も、大都市部では深刻でも地方では保育園の定員に空きが出ているところも多い(東京でも青梅市などでは空きがあるそうです)という状況からは、東京一極集中など、我が国の都市政策の問題であることを認識する必要があります。
  また、そもそも昔のように3世代同居や専業主婦が多かった時代であれば、今のような保育所不足等の問題はあまり生じなかったわけですが、国民の意識を逆戻りさせるわけにはいきません。しかも現在は、少子高齢化や人口の減少といった日本社会の大きな課題への対策の一つとして、働き方に対する社会の仕組みや国民の意識の変革が進められています。若い人たちが結婚をし、子育てをしやすい社会を作るためにも、長時間労働の是正などの働き方改革が必須であり、保育所の整備促進と併せてそれを実現しなければ、課題の根本的解決にはならないと思います。

Kくんの保育園

  前回のブログに書いたように、週に1、2度、孫のKくんを保育園に迎えに行くようになりました。娘の家から徒歩3分くらいにあるこの認可保育所社会福祉法人立で、都内に数カ所、系列園があるようです。広い園庭を持ち、2階建ての園舎の1階には0〜2歳児の部屋と事務室等の管理部門があり、2階には3〜5歳児の部屋と地域交流スペース等があります。暗証番号を押して玄関ドアを開け、事務室の方に挨拶をして2階に行くと、500㎡ほどはありそうな大きな部屋に、数えたことはないのですが、年少から年長までの子どもたちが5、60人くらい、いくつかのテーブルに分かれて折り紙やお絵かき、ゲームなどをしながら過ごし、4、5名の保育士さんが一緒に遊んだり、見守ったりしています。
  大部屋入り口で部屋全体を見回しながらKくんを探すのですが、そこは祖父と孫の心が通い合うのか、たいてい1、2分くらいでKくんが私に気づいてくれます。その後、Kくんが友達と一緒のその遊びを終わらせ、帰りの支度を済ませて出てくるのを廊下で待つのですが、この時間が楽しい。たいてい、数名の年少児が、「誰を待っているの?」とか「Kくんのおじいちゃん?」とか言いながら寄ってきます。また、保育士さんが、Kくんのその日の様子をニコニコしながら伝えてくれます。様子は連絡帳にも書いてあります。

  この園で面白いのは、迎えに来たすべての保護者に対して、事務の人も保育士さんも一様に、「お帰りなさい」と挨拶をすることです。迎えに来る保護者は主には勤め帰りの母親なので、そのように言葉を掛けることを徹底しているのでしょうが、勤めておらず、しかも遠隔地から迎えに来た私には、なんだか場違いなところに来た感じを持たされて苦笑いしてしまいます。ただ、「お帰りなさい」という言葉には、この園を大きな家庭と捉えて、関係する者すべてが家族のようなつながりを持つという、疑似家庭的な意識を醸成する狙いがあるのかも知れません。
  私はひたすら、「こんにちわ」とか「お世話になります」と挨拶をするのですが、実際、この園には大変お世話になっています。姉のYちゃんと違って、どちらかというとややおとなしいKくんですが、いつ迎えに行ってもお友達と楽しそうに遊んでおり、昨年4月の入園以来、一日も遅刻、欠席なく元気に通っています。都心に通う娘の帰りの電車が事故で急に遅れたときに連絡を入れたら、時間が過ぎても待っていてくださったそうです。
  このように、保育園を初めて垣間見て、待機児童問題など、現在の我が国の子育て事情が少し分かるようになりました。

子育て支援モデル?

  娘が昨年5月に専業主婦から常勤で就業したため、小学校3年生になったYちゃんは授業終了後は同じ校内にある学童クラブで過ごし、Kくんは自宅から徒歩3分のところにある認可保育園に通うという生活が始まりました。それから1年間、学童クラブも保育園も19時までは預かってくれるため、妻や私は娘の家にたまに手伝いには行っていましたが、それほど必須ではなく、気持ちは楽でした。
  ところが、今年の4月からは、Yちゃんが4年生になったために学童クラブで預かってもらえなくなり、学校終了後は家で一人で過ごさざるを得なくなりました。また、娘の仕事が本格化してきて帰宅してからの家事に十分な時間が取れず、子どもにも影響が出ているように思えてきました。
  そこに重なったのが私の退職、フリー化です。結論から言うと、4月以降は週2日、Yちゃんのお受験塾や習い事がない平日の午後に、妻が行かないときには私が、娘の家に子どもの世話や家事手伝いに行くことになりました。退職したらあれもやりたい、これもやりたいと、いろいろと希望に胸を膨らませていたので、当初はやや気勢をそがれた感じでしたが、すぐにこの仕事にやりがいを感じるようになりました。
  まず、学校から帰ってきたYちゃんの、「今日学校でね・・・」という報告を聞いてあげるのですが、これが面白い。授業中の話、遊び時間中の話、班活動での話等々、友だちや先生との関係も含め、いまどきの小学校の様子がリアルに分かります。週に2日だけですが、学校から帰ってきて話相手がいるというだけでも子どものためになっている実感がします。このほかYちゃんに対しては、学校や塾の宿題をやらせたりピアノの練習をさせたりなどの仕事もあります。
  そして17時になったら、Kくんを保育園に迎えに行くという仕事があります。延長保育を頼んでいる他の3日は、19時に仕事帰りの娘が迎えに行くのですが、私が迎えに行く日は、Kくんにとってはまた違った楽しみがある日となっています。天気が良い日は、帰宅後、外が暗くなるまでKくんの好きな自転車遊びに付き合い、暗くなったら家に入って、これもKくんの好きな将棋の相手になってやるからです。娘の夫は、勤務先が近いので朝はゆっくりでよく、8時頃にYちゃんの学校への送り出しとKくんの保育園への送りをやっているようですが、帰宅はいつも深夜とか。そのため、私が男親の役割の一部を果たしていることになります。

  遊びが終わったら、二人の子に妻が作って持たせてくれたおかずで夕ご飯を食べさせながら娘の帰宅を待ち、帰ってきたら私の役目は終了となって退出し、横浜まで2時間の帰路につきます。大変といえば大変ですが、いつか妻が言っていた、「しょっちゅう孫に会えるだけでも幸せ」と思わなければなりませんし、祖父母世代の子育て協力のひとつのモデルとなる事例か?とも自負しています。

ジューンベリー

  5、6年前に植木屋さんに植えてもらった庭のジューンベリーの木の実が熟して、収穫の時期となりました。この木は、当初は2メートルに満たなかった若木でしたが、その後どんどん伸びて、今や4メートルを超えているため、収穫作業も大変です。
  昨年までは手の届く範囲を妻と一緒に摘む程度で、上部は鳥にあげるという大らかさでしたが、今年は時間的な余裕もできたため、1間高の脚立を持ってきて私が登り、天頂部から下まで徹底的に収穫してみようという作戦。赤い実が黒くなれば完全に熟して、手で触るとポロッと採れるのですが、まだ赤い実も混じっている状態のため、黒いのだけを選んで何日間かにわたって収穫しなければなりません。
  まずは数日前から2日間、脚立に登って枝を掻き分けながらもぎにもいで、合計3kgほど収穫しました。そして、収穫した実は、早速妻が丁寧に洗って砂糖と一緒に鍋で煮立ててジューンベリージャムが何瓶もできました。自家消費以外に、いずれこのジャムは妻の水泳仲間等にお裾分けされることになります。
 初日の収穫
  一連の作業を通して私は、ある頃(単純な私は、ヘルマンヘッセの「庭仕事の愉しみ」を読んで影響されたのでした)から計画的に、ごく狭い庭ではありますが実のなる木をいくつか植えてきて、正解だったと満足しています。収穫時期順に挙げると、6月初旬の梅(老木のため収量が段々減っています)とジューンベリー、真夏のブルーベリー、秋の柿、冬の柚、春の甘夏ミカンとグレープフルーツとほぼ切れ目なく続いて、それぞれの季節の彩りを感じさせてくれるとともに、我々夫婦のビタミン摂取や果物購入経費の節約など、実用性にも富んでいるからです。
  ただ今後、年を重ねる毎に収穫作業に困難が伴ってくることが懸念されます。高木でも高枝ハサミでもぎ取れる柿や甘夏ミカンはまだ良いのですが、ジューンベリーは直接手でもぎ取らなければならないので、木の上部の実を採るには、脚立の最上部に登ったりしなければならず、これがやや危険。実際今回、脚立におっかなびっくり登って収穫作業に励んだのですが、道行く人は、あのおじ(い)さん大丈夫かなと心配だったことと思います。
  とりあえず今年は、まだたくさん付いている残りの実を無事故で収穫することに努めるが、いずれは近所の人に開放し、自由に採っていってもらうようにしようと、妻と話したことでした。ヘルマンヘッセは、「人は成熟するにつれて若くなる」と言っていますが、我々の場合は、果樹を媒体として若い世代と交流し、若さをもらおうというわけです。

気になる話し方

  先日、昔の職場の仲間と飲んでいたら、若い女性を中心に語尾を上げる話し方が広がっていることが話題となりました。「○○がぁ↑」「○○でぇ↑」「○○にぃ↑」などの話し方です。このような話し方をされるのがどうも苦手で、何とかならないものかと、おじさん一同でぼやくことしきりでした。
  確かに、「ら抜き言葉」や「省略語」、「マジ」「ヤバ」「チョー」等の若者言葉など、日本語の文法や用語の乱れのほかに、イントネーションやリズムといった日本語の話し方も乱れてきているのが、最近の実態です。美しい日本語を守るためには話し方も含めて問題にするべきで、時代に応じて日本語も日本語の話し方も変わっていくものだなどと、あきらめてはいけないという点で一致しました。
  しかし、一体何が原因で語尾を上げて話す人が増えてきたのかよく分かりませんし、どのようにしたらそのような話し方をしないようにできるかは難しい問題です。

  そのような話し方をする人に対しては、そのままオウム返しのように自分も語尾を上げた話し方をして、その異常さを相手に気づかせて効果を挙げたという仲間もいましたが、恥ずかしくてなかなかそんな真似はできません。
  某FM放送で、毎週一人ずつ、女子プロゴルファーが出てきてトークをする番組があるのだが、出てくる女子プロゴルファーが見事なほど全員、語尾を上げて話すよ、という報告もありました。
  語尾を上げる話し方には、甘えや押しつけがましさなどが感じられ、少なくとも大人の女性という落ち着きや知性が感じられないというのがみんなの意見でしたが、女子プロゴルファーの皆さんに知性が無いというのは失礼ですし、おそらくこの人たちは、勝負の世界に生きているので、自分を鼓舞する気持ちが語尾の強めに込められているのかもしれません。
  幸い私の周りには語尾を上げて話す女性はいませんが、電車の中などでは語尾上げ話法の人たちに時々遭遇します。ただ最近、仲間との話題の後に、毎週観ているNHKTVの趣味の園芸「野菜の時間」で、時々進行役を務める中年女性タレントが語尾を上げて話すことが気になり出しました。このような話し方が中年層にまで広がってきているようです。NHKは、美しい日本語を守り広めるために、率先して役割を果たす必要があるはずですが・・・。
  せめて私にできることとして、孫三人に美しい日本語を受け継いでいってもらうよう、努めたいと思います。

旧交⑤ 「蒼穹万里」

  高校の関東地区同窓会総会に出席しました。母校は福岡県立で、今年で創立100年を迎えたということ。記念の意味もあるからか、旧制中学校時代に卒業した大先輩から数年前に卒業した若者まで400名を越す参加者で賑わい、郷里からも市長や現在の校長などが来賓として出席しました。
  全期が集まる総会の他に、同期だけが集まる会も、それぞれ年に一回ほど開かれているのですが、私は昨秋の同期会と今回の総会とも10年振りくらいの出席というように、あまり熱心ではありませんでした。高校卒業と同時に父の転勤に伴って実家はその地を離れ、私は大学進学で上京してそのまま今日まで首都圏暮らしということで、郷里の高校とは何となく縁が薄れたように感じていました。おまけに、高校時代の親友が早世したこともあります。
  しかし、やはりこのような会に出席すると楽しいし、得るものは大だというのが実感です。田舎の高校ですし、その頃は学区制がしっかりしていましたから、普通の成績の子であれば、同期の3分の1くらいは小学校、中学校とも一緒だった人なので、会うと即座に大昔にタイムスリップして話が弾みます。淡い恋心を抱いていて当時は胸をときめかしていた女子とも、孫の話などで盛り上がります。
  日本の高度成長期に生きてきた我々ですので、社会に出てからの話を聞くと、結構、男性であればその人自身が、女性であれば夫に伴って、国内各地を転勤したり、海外生活を経験した人も多い。私はずっと首都圏だけに暮らしていましたので、それだけでも刺激があります。
  そして第一線を引いた後も、何らかの形で社会との関わりを今も持ちながら生活している人たちがほとんどです。関連企業や団体にまだ勤めている人、自分でNPOや会社を起こした人、政党の県支部の役員をやっている人、某省の事務次官を退職後、関連団体の役職を務めている人(この人が関東地区同窓会の会長)もいます。日本芸術院会員で著名な画家の人はもちろんまだ現役続行中ですが、趣味の絵画や茶道、囲碁などの世界でいろいろな団体の世話役などを務めている人も多い。
  この日、郷里に組織がある同窓会全体の会長(我々よりも先輩で、地元企業の社長)の挨拶では、郷里の市は少子高齢化と人口減少時代そのままに、市の人口が最盛期の半分くらいになったこと、そのため母校の入学定員も漸減して今年の新入生は200名であったことが紹介されました。
  とても残念で淋しいことですが、幸い同窓会組織は活発で、首都圏や全国に散らばったOB、OGは元気な人たちがたくさんいますので、今後とも郷里の母校を盛り上げていく気持ちはいっぱいに違いありません。
  今回ブログタイトルの「蒼穹万里」とは、母校の校歌の出だしの部分ですが、「蒼穹万里天翔る、図南の鵬に憧れて♪・・・」と続く雄大な歌詞です。母校で過ごした3年間はもちろん、その後の人生でも折に触れて口ずさんで元気をもらってきました。会の最後にみんなで大合唱しましたが、この校歌には、母校にも自分自身にも勇気と希望をもたらす何かがあります。