旧交④ 「鳴戸親方」

  3月末で仕事を辞めましたが、それまでご苦労さんということで、大相撲5月場所12日目の枡席のチケットを贈ってくださった方がいたので、ありがたくお受けし、私の後任者も含む後輩3人を誘って、昨日観戦に行って来ました。
  今場所は稀勢の里フィーバーもあってチケットは売り出し即完売となった人気だったそうで、幕内の取組に入る頃に満員御礼の垂れ幕も下がりましたが、ヒマな私が観ていた幕下の取組の頃からも、館内は熱気満々に感じました。
  熱気といえば、両国駅から国技館までの沿道にもファンがたくさん行列し、その前を浴衣姿の力士が(常套句的で実際に嗅いだわけではありませんが)鬢付け油の匂いをさせながら通って、(これも常套句的ですが)夏の風物詩そのものでした。
  力士はもちろん、呼び出しや行司の衣装や所作も含め、とにかく大相撲は日本文化を代表するものの一つと、各取組や十両や幕内の土俵入り、横綱土俵入り、弓取り式などを見ながら、つくづく感じ入った次第です。
 十両土俵入り
 そしてこの日一番の感激は、後から後輩も来て4人揃った我々の席まで、元大関琴欧洲鳴戸親方が挨拶に来てくださったことです。
  もう10年以上前になりますが、親方の現役時代、周年行事に来て華を添えていただいたのを縁に、大関の後援会に入会。各場所前の励ます会に出席したり、結婚式に招待されたりし、最後は断髪式にも参加させていただきました。
  お会いするのはその断髪式以来でしたが、つい先日、4月1日に佐渡ケ嶽部屋から独立して自分の部屋を興した親方は、とても張り切っておられるように感じました。にこやかさは以前のまま。我々の枡席のところに来て、後ろの席のお客さんの迷惑にならないように、2メートルを超す大きな身体を折りかがめて話をされる優しい気配りもさすがでした。
 朝青龍白鵬など、強豪力士をたくさん倒したこともある現役時代の親方の唯一の心残りは、横綱になれなかったことに違いありません。
  しかし、このたび部屋発足時の弟子3人の中には、ブルガリア国内のレスリングジュニア王者になった20歳の青年がいます。身長195cm、体重133kgととても立派な体格で、鍛え方次第では将来の横綱間違いなしの感がします。
  スポーツ新聞の記事によれば、親方は、「経験、苦労、勉強したことがたくさんある。19歳で日本に来て、私の心は日本人。日本の心で指導していく」と意気込んでおられるとのことですが、ぜひこのブルガリア青年などの弟子を横綱に育て上げていただきたい。
 親方と久しぶりに会って、なんだか我々4人も大きな夢をもらってきたような気がしました。「東京オリンピックまでは元気に過ごしたい」という高齢者が多いようですが、私にはもう一つ、「鳴戸部屋から横綱が出るまでは元気でいたい」という目標ができました。

旧交③ 「山菜採り」

  学生時代に同じ下宿の隣の部屋にいた友人が5年振りくらいに東北から上京し、連絡をくれたので、早速会おうということになり、横浜駅の地下街で昼間から飲みながら旧交を温めました。
 彼は出身が東北で、都内の民間企業に就職。結婚してしばらくは首都圏にいたのですが、実家の近くに戻って好きなスキーなどに打ち込みたいと、40代半ば頃に退職して東北某県の県庁所在市に移ってしまいました。サラリーマン時代に蓄えたお金で市内に少しずつ4棟80室もの学生向けアパートを建て、その家賃収入で早い時期から悠々暮らしています。
  東北3大祭のときにこちらの友人と3人で私の車に乗って訪れたこともあるのですが、さすが東北、自宅も立派で広々とし、自分用にベンツのSクラス、奥さん用に国産車などを乗り回している贅沢さに感心したものです。
  しかしながら、久しぶりに会って彼の近況を聞いて改めて羨ましくなったのは、そのような私には相応しくない贅沢さではなく、東北の大自然と一体となった生活の楽しみようです。
 シーズンの冬には北海道や地元のスキー場でスキー三昧し、他のシーズンにはゴルフ、テニス、山登り、カーリングなどに打ち込んでいるとか。山登りのために体重を増やさないように気をつけているということで、身体も引き締まっていました。
  そして彼が今回熱を込めて語ってくれたのが、山菜採りの楽しさです。自宅から車で15分も行けば着くようなところも含め、あちこちの山で山菜が豊富に採れるそうで、5月の連休頃から始まるシーズン中は何度も出かけ、その都度背負っていったリュックをいっぱいにしてくるとのこと。

  私はかつて何度か、5月の連休に仲間とともにオートバイツーリングで訪ねましたが、その頃の東北の山々の美しさは格別で、「神々の山を駈ける」という表現をしたこともあります。秋の紅葉の頃ももちろん素晴らしい。
  そのような山々を登山で楽しみ、山菜採りで楽しむ生活。今回のお土産に、彼の奥さんが綿毛を取り灰汁抜きをして天日干しをしてくれたゼンマイを沢山いただきました。これを水で戻してうちの奥さんに料理してもらって、その幸せのお裾分けにあずかりたいと思っています。

旧交② 「手談会」

 20年くらい前にいた部署のOB仲間が続けている囲碁サークルに、引退を機に入れてもらいました。隔月の特定週の金曜日に新宿の囲碁サロンを会場として開かれており、先週、初めて出席しました。
  まず感心したのが、その碁会所の広さときれいさ。50盤くらい置かれており、中高年男性に混じって女性客も多く、外国人もいました。これまで私の地元の碁会所や旅先の地方の碁会所を利用したことがありますが、ここは都会の碁会所らしい洒落た雰囲気です。
  11人の会員でこの日集まったのは新参の私を入れて7人。私が出た後にその部署に来た人もいますので、初対面の人も数人です。まずは私に参加の呼びかけをしてくれたMさんと対局しましたが、彼は確か現役時代は私に何子か置いていたのに、この日は互先で打って1勝1敗。すっかり強くなっていました。

  有段者から級位者まで、それぞれの方と時間を忘れて打っていたら、13時から始めてあっという間に17時を過ぎていました。でも、21時過ぎまで営業しているのでもう少しは打つのだろと考えていたところ、仲間の皆さんは急にそわそわし始め、「ではそろそろ次のところに行きますか」とのこと。つまり、飲み会に移るのでした。
  碁会所から数分のとあるビルの地下の居酒屋が定席らしく、まずはビールで乾杯から始まって、すぐに銘酒の飲み比べに移行。速いペースに驚いていたら、この店は18時半までにオーダーしたら5つの銘柄の銘酒が半額となるタイムサービスがあるのでした。
  今度はこれ、次はこれ、と5銘柄すべてを目指す人も多く、私も嫌いな方ではないので付き合って飲み且つ食べましたが、囲碁の話や職場時代の思い出、時局の話などで大いに盛り上がり、とても楽しいひとときでした。
  昼間に幹事の方にもらった会報に、この会の名称を「手談会」と書いてありました。手談とは囲碁の別称で、「言葉を交わさなくとも碁を一局打てば心が通じ合う」というような意味です。飲みながら隣に座った会長さんに「とても良い会名ですね」と言ったら、「酒談会とも言います」とのこと。「手談と酒談、どちらにも使えるように最近は『しゅ談会』とひらがなにしています。『酒断』でもよいのですが・・・」という話には大笑いしました。
  楽しい会に入れてもらいました。

旧交① 「地域寄席」

  先々週の日曜日に、元職場の後輩が席亭を務める、千葉県内のある地域寄席に行って来ました。出演の噺家は、立川流唯一の女流の立川こはるさんと笑点司会の春風亭昇太の弟子の春風亭昇羊さん。2人とも二つ目の若手です。
  小柄でボーイッシュな容姿のこはるさん。国立大学の大学院中退ということですが、女は弟子にとらないという談志門下の談春師匠の弟子に潜り込み、今や独演会やTV出演など大活躍。昇羊さんは横浜出身でまだ27、8歳のスマートなイケメン。かなりのモテタイプですが、結婚したばかりということでした。
  一席ずつ交互に高座に上がりながら各2席を勤めてくれましたが、当意即妙なマクラから本題、落ちまで、落語の楽しさを存分に楽しませてくれました。35、6人で満員となるような狭い居酒屋の会場の良さですが、迫力があり過ぎて、私は座布団から笑い転げ落ちないようにするのがやっとでした。

  終わってからは、希望者だけによる、お二人を囲んでの飲み会。この日は14人が残りました。一人ずつまず自己紹介をし、あれこれ懇談をしましたが、私以外、やはり落語通が多く、古典落語の背景となっている江戸時代のことなども結構ご存じです。こはるさんと昇羊さんも時々解説してくれます。
  その時、まだまだ私は落語に対する熱心さが足りないと気がつかされたことがあります。みんなの話題に、「へっつい」という言葉が出てきたのですが、私は耳にしたことはあるものの、はて何のことだったかなという感じでした。要は七輪の親玉みたいなもので、農家の土間の大きな竈は据え付けですが、へっついは可動式のようです。「へっつい幽霊」という演目の落語を聴いたことがある人なら分かることでした。
  席亭の挨拶では、この地域寄席も16年目に入ったとのこと。年4回開催されて、今回が61回目の落語会でしたが、このほかに講談会もあります。私は、しばらくは皆勤で参加していたのですが、遠距離と勤務の都合等で近年は参加率が落ちていました。ヒマになったこれからは毎回参加を目指し、古典芸能そのものを楽しみたいと思います。本当は、噺家や講釈師の皆さんの滑舌や演じ方、頭の回転、知識等々、私に最も欠けているそれらの片鱗でも身に付けたいのですが・・・。この歳では無理ですが、認知症の予防にはなるような気もします。

働き方改革に思う

  ゴールデンウイーク(GW)が終わりました。今年は9連休になった人も多いとか。1年で一番爽やかな季節にまとまった休みが取れて、現役世代にはありがたい期間だったのだと思います。毎週GWの私には、どこに行っても混み合っているのであまりうれしくはなく、もっぱら家の狭い庭で畑作業をしていました。
  近年は、祝日増や最近始まり官公庁や一部の大企業を中心に実施されているプレミアムフライデーにも見るように、日本人はもっと休もうという流れが強まっています。いわゆる働き方改革の一環として、政府主導で、残業時間の規制も含め、長時間労働の是正策があれこれ進められています。
  長時間労働による過労自殺者が出たり、ワークライフバランスが取れずに疲労困憊した毎日を送ったり、疲労困憊して働くために能率が悪く、仕事上の良いアイデアも浮かばずに低い労働生産性となったり等々の問題を見ると、我が国にとって長時間労働の是正は喫緊の課題であることは間違いありません。
  しかしながら、天然資源に乏しく、国民の勤勉さを最大の武器に高度経済成長を果たしてきた日本が、いま少子高齢化の加速や人口の減少といった課題に直面している中で、あまり働かなくなってもよいのかどうか、やや心配な気もします。
  一人当たりの労働時間を短縮しながら全体として我が国の経済成長力を維持していくには、働く人を増やすことと併せ、先進7カ国で最も低いとされる我が国の労働生産性を高めることが不可欠とも言われているのですが、この労働生産性の議論についてもやや心配な面があります。
  以上二つの懸念のまず最初の長時間労働の是正に関してですが、何がやや気になるかというと、個人の私的な時間の大切さをいうあまり、働くことの意義や大切さについて顧みられず、労働時間が否定的に捉えられがちとなっているところです。人はみんな働くことによって社会参加をし、社会において役割を果たしているわけで、自分の仕事そのものが面白くてつい時間を忘れて働くという人も多いと思います。
  このような意味で、今後は女性や高齢者、障害者にももっと働いてもらうということについては、私は大賛成です。子育て中の女性や、身体が弱ってきている高齢者、ハンディのある障害者が働くことについては、働きやすい社会環境を整備していくことは先決ですが、労働の前向きの意義をしっかりととらえて、働ける人には働いてもらうという社会になっていく必要があると思います。
  次いで、労働生産性に関する議論で気になることについて。労働生産性というのは労働1単位(1人当たり又は1時間当たり)で生み出す付加価値のことで、国内総生産(GDP)を労働者の総数で割って算出するそうですが、日本がOECD各国や先進7カ国の間でも低いのは、日本のGDPの7割を占めるサービス業では人手に頼る業務が多く、かつ、これらの大半が労働効率を高めにくい中小零細企業で担われていることが主因のようです。
  サービス業の中の卸売・小売業や飲食・宿泊業では、IT導入の遅れや過剰サービスの一方でその対価が低いことなどが指摘されています。介護や福祉の現場も、生産性の低い小規模な社会福祉法人が担っていることの問題が指摘されています。
  このため、ITや人工知能(AI)など、労働効率を高める技術革新を進めていく必要性や、非効率な産業や企業から効率のよいそれらへの移行、転換、また人材面でも流動性を高めてそれを可能とするよう、日本の伝統的な終身雇用制や年功序列賃金の見直しの必要性も言われています。
  要するに日本の産業構造や伝統的人事管理制度の変革が求められているわけで、確かに必要と思われるものがある一方、日本人のこれまでの生き方そのものに影響することも多く、複雑です。
  労働生産性を向上させるために、日本人の「横並び意識」が会議などでの意見が出にくかったり、独創的な意見やアイデアが出にくい原因になっているのでその変革をしようというのはまだ我慢できますが、最初に結論が分かる英語などと違って、日本語は最後まで聞かないと結論が分かりにくく効率が悪いので使わないようにしよう的な意見まであるのには、極めて不安な気持ちになります。
  グローバリズムの名のもとに新自由主義経済が進められ、格差社会が拡大したことに対する批判は多いのですが、労働生産性の向上のためにはやはりその潮流に乗らなければならないのか、戸惑いを覚えます。

(5月2日・鳴沢村にて。富士桜とミツバツツジ
  GWに娘一家は香港、息子一家は房総へと家族旅行をして楽しんだようです。大人は英気を養い、子どもは広い視野を養って、それぞれまた日常の忙しさに戻っていきました。
  一人、おじいちゃんが、子ども世代や孫世代の日本を気にして雑感をしたためた次第です。

昔の新聞切り抜きから

  退職して家に籠もるようになった者がまず始めるであろうことの一つ、自分の部屋の大整理を敢行しました。本や書類などを高さにして1メートルくらい廃棄することができてすっきりしたのですが、その過程で出てきたのが、茶色く変色した大昔の新聞の切り抜き。思わず懐かしく読み返したのですが、とても良いことが書いてあって、このまま無くなってしまはないよう、このブログに転載して保存しておくことにしました。昔取っていた朝日新聞の声欄などに市井の人が寄せた文章です。

朝日新聞 声欄
「真の中流は内から輝く」 (東京都 馬瀬涼子  会社員 49歳)
  世はあげて中流意識中流指向。政治の貧困何するものぞ、と意気盛んな昨今である。
  しかし、中流と自称するならば、いま一歩、内なるもの、つまり精神面を、とくと、ながめてみたい。 
  私の知る限り、昔の、いわゆる中流階級と称せられた家庭を思うに、子女たちへのしつけの厳しさは、格別のものであった。礼儀しかり、節度しかり、弱者、他人への思いやり、物に対するいとおしみ、すべからくに感謝の心を、等々。
  こうして青年期までの幾星霜、無数の教えに支えられて、優れた人格、品性が培われてきたと思う。故に、自らをして中流と唱えずとも、内なる輝きが、雄弁に、その生い立ちを物語ってくれる。
  当節、枚挙にいとまがない、どこかの国の悪徳高官連にしてしかり。灰色の栄光に追いすがる生きざまは、問わずして、精神構造の貧しさ、粗末さを披瀝して余りある。
  外観を飾るはやさしい。だが、長い時間をかけてはぐくみ、みがき抜かれたものの結晶が、言語、動作、姿の上に花をそえ、冒しがたい品位となって人を魅了する。
  真に中流たらんとするからは、それらのことに心せねばなるまい。 》


朝日新聞 談話室
「貧しくとも平和な余生送りたい」 (群馬県 島山保治 小売業 67歳)
  私の親は、父が八十、母が八十一で亡くなった。ごく平凡な、あるいは他人の目には平凡以下に見えたかも知れぬ。そんな父母の老後に対して、既に老年を迎えた私たち夫婦も、父母のような老後であってほしいと思っている。
  私の父も母も貧乏な家の生まれで、二人とも文盲に近く、従って小作百姓で生涯を送ったと言える。苦労して収穫した米も、半分くらいは地主に納めねばならず、小作料の納め時など、米俵を荷車に積み、父が引き、子供の私が後を押し、大尽様の門をくぐった。そんな時、子供心にも貧乏は悲しいものだとつくづく思った。そんな父を助けるために、母も必死に働いた。
  しかし、そんな父母にも冷たい冬ばかりではなかった。やがて春が来る。子供たちが成長し、兄が後を継ぎ、三男の私は外へ出て妻を迎えた。妻は、何かの用で私が実家を訪ねる時など、決まっておじいちゃん、おばあちゃへのお小遣いと言って、わずかだが私のポケットに入れるのである。それを父母に渡すときの幸福感、受けとる父母のうれしそうな顔。
  私たちもこの先どのくらい生きられるか知らないが、亡き父母の老後のように、貧しくとも平和な老後であってほしい。 》

  以上2編。メモしていないので掲載年月日は不明なのですが、30年以上も前、その当時の私の心に響くものがあったために切り抜いて、しばらくは机上のガラス板の下に入れていたような気がします。

  まず最初の投書ですが、高度経済成長もあって人々の暮らしが良くなり、「一億総中流」といわれる時代ともなったが、物質的豊かさを求める半面で、人々の精神的豊かさはどうなのかを問うています。かつての中流階級の家庭で大切にされてきた価値観が失われつつあるのを嘆かれているのだと思い、当時「中流の下」くらいの経済状態と思っていた我が家における、私自身の生き方や、子どもたちへのしつけの心構えとして参考にしたいと思いました。
  で、それから幾星霜、そのような価値観を体現できたかどうかですが、自分自身は真面目に生きてきて、礼儀や節度、思いやりなどはそこそこ持っているつもりですが、客観的に見られたら自信がないといったところです。子どもはそのように育てたかということでは、息子が小学校上級生の頃、焼き肉食べ放題の店に連れて行ったら、何皿でも頼むので、こういう店は品位を損なうと気がつき、以後行かなくしたことがあった程度の教育はしましたが、果たして中流らしく育ったかどうか・・・。
 一方、世の中一般に目を転じれば、現在でも、国会に証人喚問された学校法人理事長や親子2代にわたって女性スキャンダルを起こした衆議院議員など、いかがわしい人士が後を絶ちません。一億総中流どころか、子どもの貧困とかも問題となる格差社会現代社会において、貧しくとも立派な倫理観や価値観を持って過ごしている人々が沢山いるのに、社会のリーダー層にある人々の一部が起こし続ける問題状況には、昔以上に厳しく対処していく必要があると思います。
 
  2番目の投書には、本当に心が洗われます。貧しくとも懸命に生き、温かい家庭を築いてきた人たちの幸せ。まさに、1番目の投書者が問題にしているような、経済的に豊かであっても貧しい精神構造しか持ち合わせていない人たちの生活とは対極的なものです。亡きご両親と投書者ご夫婦。この投書に綴られた、配偶者の親に対する敬愛も含めた深い親子愛や夫婦愛に改めて感動を覚え、現代社会にもこのような家族関係が普通のこととしてつくられていくことを願っています。

肩の荷を下ろす

  3月いっぱいで半世紀近い勤労生活に幕を閉じました。4月からは晴れて悠々自適?の身。通勤に伴う身体的な負担の軽減というよりも、仕事を抱えているときの責任感など精神的な負担から解放されたことの効果が大きく、心がすっかり軽くなりました。これまで私を支えてくれた職場の人たちや妻に感謝の気持ちでいっぱいです。
  さてこれから毎日をどう過ごすかということですが、そのことについてあれこれ期待を持って考えてはいたものの、実際にその時を迎えてからは、当面、流れに身を任せることにしました。本日から再開の本ブログの冒頭はその記録からです。
  日付順にいうと、まず最初に、私が完全リタイアしたことを聞きつけた大学時代の仲間が4人、ホテルの中国料理店でご苦労さん会を開いてくれました。女性一人を交えた同期の5人で、昼間から美味しい酒を飲みながら大いに盛り上がりました。
  次いで大学時代の他のグループ8人の年2回の定例の集まりで兵庫県姫路市へ。初日は囲碁大会をし、2日目は折しも桜が満開の姫路城とその隣の好古園の観光。大変な混雑でしたが、登城の前に三の丸の広場で、大改修の終わった美しい天守閣を眺めながらの花見の宴と洒落ました。地元の人と違いレジャーシートやゴザを持ってきていない我々は、弁当屋がくれたビニール袋やゴミ捨て場から拾ってきた段ボールを広げて、缶ビールや清酒のワンカップを片手にそこに座っての「乞食の花見」でしたが、これが結構、ある種のノスタルジアも感じて最高の気分。

  その後、ほろ酔いのままに、大勢の外国人観光客に混じって入場制限実施中の天守閣の最上階まで狭く急な階段を無事に登ってまた降りてくることができました。そして夜は、ストックホルムでのノーベル賞授賞式のときの晩餐会で必ず出されるという銘酒「福寿」の蔵元の料亭で、利き酒をしながらの宴会。トランプ大統領北朝鮮中韓問題、豊洲市場問題などをうるさいくらいの大声で論じ合って、相変わらず若い?みんなでした。
  3日目は神戸の近くの三田でゴルフ大会。右手薬指を痛めていた私は、もともと下手な上にショットするたびに指が痛んで散々なスコア。それでも、この歳まで元気にスポーツもできたという満足感を持って、打ち上げ後、横浜への帰路に着いたのでした。
  関西から帰った翌日は、息子夫婦の娘Lちゃんの入学式参列と、その後のお祝い会出席。Lちゃんは「お受験」を頑張って見事に某国立大学の附属小学校に入学を決めたのですが、入学式には、両親だけでなく祖父母の出席も可ということから、息子の奥さんのお母様と併せて、一人の子に5人の大人が付き添う賑やかさとなりました。この小学校は、勉強だけではなく、卒業までには海で1kmの遠泳も必須など文武両道の教育方針で、校舎はやや古かったのですが、都内とは思えない緑濃く広々としたキャンパスとともに、本当に良いところに入れたと、喜びを感じました。
  以上、三つの行事をこなしたほかは、仏教の勉強会(浄土真宗のお寺でお経を上げ、法話を聞く会)に久方ぶりに出席したり、昨年から常勤職として社会復帰を果たして共働きとなった娘夫婦の家に手伝い(小学4年生となりお受験塾通いが始まったYちゃんと、保育園年長組となったKくんの世話など)に行ったりもしました。
  さらに今後は、このところ欠席の続いた昔の職場の後輩が席亭を務める「街かど落語・講談会」への参加や、先日、昔の職場の仲間から、OBが集まって毎月1回定例で開催しているという囲碁大会への参加の誘いがありましたので、それへも毎月参加させてもらうことになっています。囲碁といえば、最近行きつけとなった床屋さんから、その床屋さんの属する町会の会館で囲碁や将棋、健康麻雀の会があるのでどうぞという話だったので、近々覗いてみたいと思っています。
  このように書くと、遊び主体の気楽な時間つぶしばかりのようですが、もっと有意義なこともやりたいという密かな思いもあり、どのような形でどのように進めていくか、残人生での時間配分の問題です。