肩の荷を下ろす

  3月いっぱいで半世紀近い勤労生活に幕を閉じました。4月からは晴れて悠々自適?の身。通勤に伴う身体的な負担の軽減というよりも、仕事を抱えているときの責任感など精神的な負担から解放されたことの効果が大きく、心がすっかり軽くなりました。これまで私を支えてくれた職場の人たちや妻に感謝の気持ちでいっぱいです。
  さてこれから毎日をどう過ごすかということですが、そのことについてあれこれ期待を持って考えてはいたものの、実際にその時を迎えてからは、当面、流れに身を任せることにしました。本日から再開の本ブログの冒頭はその記録からです。
  日付順にいうと、まず最初に、私が完全リタイアしたことを聞きつけた大学時代の仲間が4人、ホテルの中国料理店でご苦労さん会を開いてくれました。女性一人を交えた同期の5人で、昼間から美味しい酒を飲みながら大いに盛り上がりました。
  次いで大学時代の他のグループ8人の年2回の定例の集まりで兵庫県姫路市へ。初日は囲碁大会をし、2日目は折しも桜が満開の姫路城とその隣の好古園の観光。大変な混雑でしたが、登城の前に三の丸の広場で、大改修の終わった美しい天守閣を眺めながらの花見の宴と洒落ました。地元の人と違いレジャーシートやゴザを持ってきていない我々は、弁当屋がくれたビニール袋やゴミ捨て場から拾ってきた段ボールを広げて、缶ビールや清酒のワンカップを片手にそこに座っての「乞食の花見」でしたが、これが結構、ある種のノスタルジアも感じて最高の気分。

  その後、ほろ酔いのままに、大勢の外国人観光客に混じって入場制限実施中の天守閣の最上階まで狭く急な階段を無事に登ってまた降りてくることができました。そして夜は、ストックホルムでのノーベル賞授賞式のときの晩餐会で必ず出されるという銘酒「福寿」の蔵元の料亭で、利き酒をしながらの宴会。トランプ大統領北朝鮮中韓問題、豊洲市場問題などをうるさいくらいの大声で論じ合って、相変わらず若い?みんなでした。
  3日目は神戸の近くの三田でゴルフ大会。右手薬指を痛めていた私は、もともと下手な上にショットするたびに指が痛んで散々なスコア。それでも、この歳まで元気にスポーツもできたという満足感を持って、打ち上げ後、横浜への帰路に着いたのでした。
  関西から帰った翌日は、息子夫婦の娘Lちゃんの入学式参列と、その後のお祝い会出席。Lちゃんは「お受験」を頑張って見事に某国立大学の附属小学校に入学を決めたのですが、入学式には、両親だけでなく祖父母の出席も可ということから、息子の奥さんのお母様と併せて、一人の子に5人の大人が付き添う賑やかさとなりました。この小学校は、勉強だけではなく、卒業までには海で1kmの遠泳も必須など文武両道の教育方針で、校舎はやや古かったのですが、都内とは思えない緑濃く広々としたキャンパスとともに、本当に良いところに入れたと、喜びを感じました。
  以上、三つの行事をこなしたほかは、仏教の勉強会(浄土真宗のお寺でお経を上げ、法話を聞く会)に久方ぶりに出席したり、昨年から常勤職として社会復帰を果たして共働きとなった娘夫婦の家に手伝い(小学4年生となりお受験塾通いが始まったYちゃんと、保育園年長組となったKくんの世話など)に行ったりもしました。
  さらに今後は、このところ欠席の続いた昔の職場の後輩が席亭を務める「街かど落語・講談会」への参加や、先日、昔の職場の仲間から、OBが集まって毎月1回定例で開催しているという囲碁大会への参加の誘いがありましたので、それへも毎月参加させてもらうことになっています。囲碁といえば、最近行きつけとなった床屋さんから、その床屋さんの属する町会の会館で囲碁や将棋、健康麻雀の会があるのでどうぞという話だったので、近々覗いてみたいと思っています。
  このように書くと、遊び主体の気楽な時間つぶしばかりのようですが、もっと有意義なこともやりたいという密かな思いもあり、どのような形でどのように進めていくか、残人生での時間配分の問題です。