尾瀬

  大学の同期会の仲間4人で、2泊3日、秋の尾瀬に行ってきました。実はこの同期会は全員8人でつくっており、既に30年近く、毎年2回のゴルフコンペを開催しているのですが、みんな最近はゴルフの前日のオプション観光のほうが楽しみになってきていました。その延長線上で、山行も始めたいということになり、特別プログラムとして尾瀬に行くことになったものです。長時間の山行は無理という者もいて、今回は健脚組のうちのヒマがある4人(うち2人は関西から)が参加した次第。会津檜枝岐の旅館に2泊して、間の日に沼山峠経由、尾瀬沼一周をすることとなりました。
  東京駅に集まって私の車で東北自動車道と一般道を延々と走り続けて檜枝岐まで。その間の話題はもっぱら政治や社会問題でした。長く新聞記者を務めた者がいて、裏情報も含めて分かりやすく解説してくれます。どんな話題にしろ、どうしても最近の世相を嘆きがちになるところは全員の年齢を考えれば致し方のないところです。それでも、合間に孫の話題が出るとパッと明るい雰囲気になりますから、孫の力は大きいと言えます。
  私は尾瀬は、学生時代と20年ほど前に各1回、鳩待峠経由、キャンプをして尾瀬ヶ原中心に歩くコースでした。しかし今回も入れて近年3回は、檜枝岐に泊まって沼山峠経由、尾瀬沼周辺、あるいは燧裏林道を通って三条の滝方面に向かうというコースを楽しんでいます。なぜ首都圏から距離が遠くなる檜枝岐泊にしているかというと、ここの旅館に妻の教え子が若女将としているから。明治時代から続く老舗旅館の長男と学生時代に知り合って結婚し、この地に飛び込んできて頑張っているのです。5歳の男の子とこの春生まれた女の子もいます。
  仲間の3人は、学生時代以来2度目の尾瀬で、しかも秋の尾瀬は初めてとのこと。沼山峠から降りて来て、大江湿原の燃えるような草もみじが広がるのを目にした瞬間、感嘆の声を上げました。尾瀬沼周辺は針葉樹林が多いため、樹木の紅葉は尾瀬ヶ原周辺のほうが勝っているとのことですが、それでも、尾瀬沼東岸のビジターセンターなどに寄った後、三平下から沼尻までやや荒れた木道を歩く途中などで随所に紅葉(黄葉)した樹木群が見られ、その見事さは言い表せないほどです。沼尻で旅館で作ってもらったお握り弁当を食べ、燧ヶ岳を仰ぎ見ながら反対岸を歩いて再び大江湿原へ。沼山峠までの帰途の登りだけがややきつい感じでしたが、我ら4人組は、旅行社のツアーで来ていたやはり中高年の団体を何組か追い抜く元気ぶりでした。
  旅館に戻ってからは、浴室の壁、床、浴槽、手洗い桶など、すべてが檜づくりという温泉にゆっくりと浸かって疲れを癒し、前の晩に引き続き、夕食に地ビールイワナの骨酒を何杯も飲んで、極楽でした。この旅館は日本秘湯を守る会の会員旅館で、磨き込まれた廊下の無垢の木床などが見事な木造建築です。特別天然記念物として氷河時代から続く植生などが守られ、ゴミの持ち帰り運動の発祥の地としてゴミ一つ落ちていないなど、素晴らしい環境の尾瀬を次の世紀まで必ず残したいもの(山中の案内板や、ボランティアガイドさんの話)ですが、併せて、このような地道な努力をしている旅館をみんなで守っていく必要があります。
 YちゃんやLちゃんがいずれ尾瀬の素晴らしさを知り、この旅館をずっと使い続けてくれたらいいなと、つくづく思った次第でした。(この旅館の男の子は将来、7代目の館主になる予定だそうです)