老いのきっかけ

  大学時代の同期会8人のゴルフコンペで神戸に行ってきました。前日は久し振りの神戸市内見物。ランチクルーズや異人館街散策、夜景を愛でながらのフランス料理等々、関西居住の幹事二人にすっかりお世話になりました。政治、経済の談義にもしっかりと花が咲きました。孫のいないメンバーもいるので、あまり孫の話はしません。
  ところが、すっかり昔に戻って若返った翌日にややショックな出来事が起きました。開設80年を迎える名門コースでのプレーに張り切って臨もうとしたところ、3日前に宅急便で送った私のゴルフバッグが届いていないのです。プレー時間まであと30分足らず、少々慌てました。結果、(控えの伝票も忘れてきていたので、)家に電話をかけて残してきた伝票番号を確認し、ゴルフ場の方が地元の配送センターに連絡してくれたところ、1週間先のプレー日を記入した私のバッグがそこに保管中であることが分かりました。なんと、プレー日の完全な記入間違いだったのです。(バッグはプレー日の前日にゴルフ場に届けるのが決まりらしいです) 配送センターの方が、直ちに私のバッグ一つだけを持って駆けつけてくださり、プレー時間に何とか間に合ったのは感謝感激でしたが、仲間にはすっかりからかいの材料を与えてしまいました。
  実は、1週間先にも別口で1泊2日の行事があり、そちらは私が幹事のため、そちらの日にちばかりが気になっていたのが間違いの原因であったと思うのですが、いずれにしてもボケ症状には違いありません。
  人はどのようなときに自分の老いを感じるか、さまざまでしょうが、私には今回の件と併せ、もう一つそれを感じさせられる出来事が最近ありました。先日、息子一家を夫婦で訪ねたその帰りの電車の中。やや混んだ車内でシルバー席が一つだけ空いていたので、私が座ったところ、隣りに座っていた若い男性が即座に私の妻に「どうぞ」と席を譲ってくれたのです。毎日プールで1km近く泳いだり、ウオーキングをしたり、元気な妻ですからどうするかと思ったら、意外と素直にお礼を言って好意を受けました。しばらく先の駅でその男性がいなくなってから、「今日という日をよく記憶していた方がいいよ。初めて席を譲られた記念すべき日なんだから」と私が冷やかすと、「白髪のおじいさんが隣りに座ったから、その奥さんも年寄りだと思ってよく私を見ないで席を譲ってくれたのよ」と、負けていません。
  確かにその通りかもしれません。私はここ数年、急速に頭が白髪になったし、シルバーシートに近寄る癖も出てきて、私自身は席を譲られたことは一度もないのですが、他人の目にはしっかりと高齢者に見られていたということでしょう。孫と祖父という関係での「おじいちゃん」という呼称に慣れて、自分でも「おじいちゃん」といっているうちに、年寄りを意味する「おじいちゃん」になってしまったという次第のようです。(もっとも、私は孫に「おじいちゃん」と呼ばれることがうれしくてたまりません。最近は祖父母のことを「じいじ」「ばあば」と呼ばせる親が多いのですが、1字違えば「じじい」「ばばあ」となるそれらよりも、「おじいちゃん」「おばあちゃん」のほうが敬愛の情がうんと感じられます。)
  いずれにしても、老いのきっかけとなるのは他人の眼差しであり、それに合わせるように自分自身で老けていくということもあるようですから、気をつけなければいけません。ボケない努力と、体力維持の努力。頑張りたいものだと思いました。