今年の漢字

  今年もいよいよあと数時間となりました。何かと年末の忙しいことが重なってブログの更新を怠っていましたが、今年の締めに真面目な話題を一つ。
  1ヶ月前くらいの話題になりますが、某団体が主催し、みんなの得票で選んで清水寺貫首が揮毫する今年を一字で表す漢字に「暑」が選ばれたということです。選ばれた理由もそれらしき説明はありますが、寒い年の瀬に見る字としてはあまりピッタリ来ません。私はそれよりも実感として、石原都知事が選んだ「衰」の一字のほうが今年の世相をよく表していると思います。
  石原知事は、隣の中国を除き、アメリカも含めて世界全体が衰弱してきていると言い、特に日本の国力の衰えについて強い警鐘を鳴らしています。実際、成長戦略や財政再建の軸もなく、税収よりも多い国債発行を財源として過去最大に膨らんだ来年度の国の予算原案などを見ていると、日本国の再生に一体誰が責任を持っているのか、暗澹たる思いにさせられます。また、このような根幹となる経済、財政面での展望の無さだけでなく、尖閣諸島北方領土の問題等での日本外交の限界を感じるときなどにも、日本国の衰退を強く感じさせられます。
  このまま日本が沈んでいくのか、やはり政治の責任が一番重いと思います。最近の政治を見ていると、政治哲学やしっかりとした政策を持ち合わせない人たちが、官僚も使いこなせず、中長期的な日本再生よりも選挙だけを意識したバラマキ政策を繰り出したり、素人的な場当たりの政策判断を繰り返しているだけといった様子です。
  もちろん、国民にも責任があります。今から2000年以上も昔にギリシャアリストテレスがデモクラシーの重要性について、人間は理性の所有によって倫理的に自立的な存在でありえ、そのような理性を持った人たちによる平等な国家が理想であると言っています。極端な大富豪も極端な貧困者もいない、中産階級が国家の主要な勢力となる体制が必要とも。その伝から言えば、自公政権末期から民主党政権に替わったいまも続く政治の混迷と経済の停滞状況については、国民がまだまだ未成熟で、アリストテレスの言うような理性を持った市民が少ないために、上記のような政治状況が続くのでしょう。国民は、その器に合ったリーダーしか選び得ないということです。
  少子高齢化が進む日本で経済大国幻想をいつまで追うことはできませんし、その必要もありませんが、私は、借金漬けでない堅実な財政運営と、高度な科学技術等を活かした活発な経済活動のもと、国民が負担すべきは負担し合って社会保障をしっかりと支えながら、子どもから高齢者まで不安のない生活が持続的に可能となればそれでよいと思います。
  破綻する心配のない国、国民みんなが中くらいの生活をすることが出来る国、老後の介護等の心配のない国、すべての人の尊厳が護られる国、人情溢れる国、伝統文化や芸術を大切にする国、外国の理不尽に対して国の誇りを持って対処できる国、自分たちのリーダーに誇りと信頼を持てる国、等々であれば、ダウンサイジングした日本、極端に言えば、昭和30年代頃の日本に戻っても良いように思います。私は経験しましたが、夢があってとても幸せな時代でしたから。
  我が家には昨日から長男一家が来ており、Lちゃんと早速一緒にお風呂に入りました。今日夕方からは長女一家が合流するので、LちゃんとYちゃんの二人をお風呂に入れるのが私の仕事になります。明日は元旦。みんなでより良い年になるように祈りたいと思います。