Back to normal. (もとに戻す、ふだん通りに)

  少し落ち着いてきたとはいえ、「3.11東日本大震災」以来、首都圏に住む我々は、以前とはかなり違った暮らしぶりを強いられています。ガソリン不足、牛乳やその他の食糧の不足、水道水の不安、計画停電等々。我が家も、1歳未満の乳児であるLちゃんのママからミネラルウオーター確保の依頼があり、それと併せて停電時用の電灯やロウソクを緊急に送ったところです。これには後日談がありまして、Lちゃんの家の浄水器は外国製の高機能型で、これを通した水道水の方が市販のペットボトルの水よりもむしろ安全ということが分かりました。送ったペット水はおそらくパパの弁当にでも添えられていることと思います。
  それにしても、石原知事はひと頃、防腐剤の入ったペットボトルの水よりも東京の水道水の方が美味しいし安全というような宣伝をしていましたので、今回の金町浄水場系の水道水に基準値を超えた放射能が検出されたことは、知事はじめ都の関係者にはとても無念なことだったでしょう。
  ただ、我々が多少生活ぶりが変わり、不便を受けているといっても、東北の被災地の方々のことを思えば、まったく我慢ができるものです。大津波で一瞬にして広範囲に町が瓦礫の山と化して、肉親も財産もなくされた方々の心情を思うと言葉もありません。もし自分の立場に置き換えて、この歳でそのような目に遭ったら、生きる希望を失うかもしれない。しかし、人は生きなければならないし、必ず立ち直らなくてはなりません。被災地の方々をどう励まし、どのようにして町も家も暮らしも復興してもらうか、日本国民みんなで力を合わせて取り組むべき課題といえます。
  数日前、行政の仕事をしている友人から、2泊3日の強行軍で被災地の視察に行ってきたとのメールがありました。その中で触れられていたのですが、「被災地の人たちが全国から寄せられる応援の言葉で傷つけられていることも多い。「がんばれ」というのは、既にギリギリの被災者を追い込む言葉であり、「大変ですね」「お気の毒に」というのも、被災者をみじめにするだけだ。石巻漁港の人たちは「もう一度、美味い魚を全国に送れる港を!」と、声をかけ合って復興を目指していたが、被災地の人たちは、できるだけ、もとの暮らしを取り戻したいと強く思っている。被災しなかった我々は、その気持ちを少しでも共有する必要がある」といったことでした。
  そして友人が提案した言葉が、"Back to normal"という、イギリスで同時多発テロが起きた後のスローガンです。この言葉の後、「デマや不確かな情報に動揺せず、悲観や感傷におぼれない心構えこそ、これから長期の復興を目指す東北と、日本に生きる私たちに必要ではないでしょうか。私たちは、被災地をもとに戻すために、(もちろん、災害対策はレベルアップしなければなりませんが)、ふだん通りに過ごしながら(時々被災地の応援活動を取り入れて)、少しずつ息の長い支援に取り組みましょう」と結んでありました。
息の長い支援ということで考えると、被災地へのいま現在の直接的な支援と並行して、日本経済の途切れない成長が必要ですが、日常生活のあらゆるところで「自粛、自粛」といったムードが広がっている現状はやや見直す必要があるのではないでしょうか。今朝の新聞のコラムにも、「こんどの大震災は、さながら戦争のように『日常』を奪っているが、こんなときの『日常』が人々を勇気づけることも心に留めておこう。かつて作家の池波正太郎が書いている。軍隊にいた池波は、故郷のほおずき市が焼け跡で開かれたのを母親からの手紙で知った。そのとき、生きる希望を得たのだと。」と、ありました。
  日本経済の活性化のためにも、日常を取り戻した中での企業活動の継続が不可欠だと思いますが、「3.11」以降、民放局の全てで、一般企業の広告が自粛され、公共広告機構(AC)の、社会のモラルを呼びかける広告一色になったのにはびっくりしました。4本くらいの同じ広告が繰り返し繰り返し流され、どんなに意義のある道徳的な内容のものであっても、多くの人たちは辟易していたはずです。私はかつてのナチスの「国民啓蒙宣伝省」下でのラジオを使った徹底した国民洗脳の歴史を思い出しました。NHKは別として、せめて民放局は、画面の横や下で震災関連情報を流しながらでも、通常番組を放映し、企業の普通のコマーシャルも流すようにした方が、企業活動を再興させるし、何より、避難場所にいる被災地の方々の息抜きや励ましにもなると思うのですが・・・
"Back to normal"