疾風怒濤の1ヶ月

  5月下旬に誕生した娘夫婦の第2子(長男)Kくんと姉となったYちゃんを連れて娘が出産里帰りをしていた6月いっぱい、我が家はまさに疾風怒濤とはやや大仰ですが、この日記を書く時間も取れなかったほどてんやわんやではありました。まず、Kくん。泣くか、寝てるか、おっぱいを飲んでいるかの3パターンしかない生活ですが、その各サイクルが短いため、娘はKくんに掛かりきりです。妻は一挙に人数が増えた食事の支度や洗濯などに大忙し。で、私はというと、元気いっぱいのYちゃんの遊び相手担当でした。
  Yちゃんは6月いっぱい地元の幼稚園を休んでこちらに連れてこられたため、心ならずも、楽しい幼稚園や近所の友達や自宅のおもちゃなどと引き離されてひと月も自宅外で過ごすという、不憫な環境。そのYちゃんを1ヶ月間、毎日どう楽しく有意義に過ごさせるかが大きな課題となりました。(このような意味では、第一子の時よりも第二子以降出産時のほうが大変な面があります。) そこで、妻が毎日水泳に通うYMCAにお願いしたところ、そこの幼児教室が平日2日間預かってくれることになり、また、毎週土曜日はパパが来訪して、翌日曜日に、5月に入会したばかりの自宅近くのキッズテニスの教室に連れて行ってくれることになりました。しかし、どうしても日程の埋まらない平日3日間のうち、私の時間が取れる月、木曜日を中心に、私がYちゃんの遊び相手を受け持つことになったものです。 
  子育て経験は遠い昔のことで、しかも、仕事の忙しさにかまけていい加減であった私が、3歳児の遊び相手を一日単位でひとり託されるという未知の体験でしたが、人生で二度とない機会かもしれないと、大いに張り切って挑むことにしました。最新の子育て事情を知って、少子高齢社会の課題などを探るまたとない機会になるとも考えました。人好き、外好き、好奇心旺盛なYちゃんと過ごすために私が選んだ場所などは、次のとおりです。
〈公園内こどもログハウス〉我が家から10分ほど歩いた大きな公園の中にある、市立の児童館的な施設です。緑豊かな公園内に大きな丸太で作った建物があり、中には子どもが身体をいっぱい使う遊具がたくさん。Yちゃんくらいの年の子は幼稚園などに行っている時間のためか、若い母親に連れられた1〜2歳児くらいが多かったのですが、Yちゃんは元気いっぱい、ロープを登ったり、地下室探検をしたり、小さい子に毬を投げてやったりと動き回っていました。年配の保母さんのような職員が数名いて、工作教室なども開いて指導してくれます。「おじいちゃんも一緒にどうぞ」と、私にも気を遣ってくれました。このような施設は昔は無かったのですが、育児世代の若い母親たちの交流の場としても、大いに意味がありそうです。ここで2時間ほど過ごし、外の公園でお弁当を食べて、途中にあるお菓子屋さんに寄ってお菓子を買って帰宅するというのがパターンでした。
〈川辺と図書館〉上記とは逆方向に10分ほど行ったところに川が流れており、野鳥が遊び、大きな鯉が群れて泳いでいます。私が時々来るジョギングコースですが、ここでYちゃんと一緒に鯉に食パンをちぎって与える遊びをしました。鯉がバシャバシャと跳ねながら餌を奪い合うのですが、いつも要領が悪く食べ損ねているのがいるので、その鯉が取りやすいように投げさせるのですが、これがなかなか難しい。生存競争の厳しさや、弱者への思いやりの必要を感じてくれたかどうか・・・。この遊びをやったあとは川辺を散歩してから図書館へ。子どもの本のコーナーでYちゃんが持ってくる本を次々と読んでやってから、図書館近くにある「がちゃがちゃ(コインを1、2枚入れてレバーを回すと小さなプラケースに入ったおもちゃが出てくる)」が置いてあるコンビニに寄らされて帰るというのがパターンでした。私は「がちゃがちゃ」なるものの存在すら知らなかったのですが、最初にYちゃんがめざとく見つけてせがむのに負けてしまいました。(妻と娘には大変不評でした)
上野動物園〉ン10年ぶりに行きましたが、やはり世代を越えて楽しめるところです。まずは正門を入ってすぐのところにあるパンダ舎に行くと、長蛇の列。そこに並ぼうとしたら、案内の係員が「あちらにどうぞ」と、うんと短い列を指差します。未就学児とその付き添い者は優遇されていたのでした。ありがたくそちらに並ぶと10分もしないでパンダの前へ。ところが手前のシンシン(メス)もその隣小屋のリンリン(オス)も反対側を向いて朝寝中。がっかりしてここを後にし、その後は順路に従って、象やキリン、ゴリラ、ペンギンなど定番の動物から、は虫類や夜行性の動物など、昼食を挟んで、ほぼすべての動物を見ました。昼食は園内のファーストフード店で買ったパンダ弁当など。大勢で来ていたどこかの幼稚園児のグループと一緒に食べました。この日、Yちゃんが特に喜んだのが、子ども動物園での「ヤギの糞の掃除ボランティア」。箒とちり取りを持って一生懸命掃除しました。帰る間際に、もう一度パンダ舎に入ると、なんと今度はこちらを向いて笹の葉を食べている、お決まりの場面がバッチリ。これにはYちゃんよりも私が喜んで、何枚も写真を撮りました。お土産のパンダのぬいぐるみを手に動物園を出て公園の中を駅に向かう途中、私の昔の職場仲間にバッタリ。彼は国立西洋美術館に行く途中でしたが、Yちゃんは「おじいいちゃんのお友達?」と、興味津々。あれこれ、とても楽しい一日でした。

江ノ島水族館〉これまたン10年ぶりの水族館。すっかり新しくなっていました。江ノ電江ノ島に着いた後、おじいちゃんが水族館の場所が分からずに観光案内所で周辺案内のリーフレットをもらうと、Yちゃんは自分用にも同じものをもらって一人前気取り。巨大な水槽の前に座ってダイバーと魚の触れ合いを見たり、イルカのショーを見たり、ここでもしっかり好奇心を発揮して積極的に動きます。クラゲのゾーンで、きれいで幻惑的なクラゲをたくさん見たときは、本当に感に堪えない様子でした。ただ、この日に問題であったのは、館内売店で土産品をいくつも欲しがったこと。子どもの目の高さに面白そうなおもちゃやぬいぐるみなどがたくさん置いてあり、1回の外出で買ってもらうものは一つと決めて既にブローチを買ってもらっているのに、イルカのキラキラ光る風船や指輪などを欲しがって「買って、買って」と大声。手を引いて強引に連れ出そうとすると、足を踏ん張って動きません。ここで負けては躾けにならないと、垂直に抱き上げて移動すると、足をバタバタさせて、まるで幼女誘拐現場のような図です。比較的に聞き分けの良い子なのですが、やはりいつもとは異なる生活を強いられているストレスがあるのかもしれません。水族館を出て、イタリアンレストランで食事をし、近くの海岸で波の寄せるのに興じてから帰宅しましたが、その頃にはすっかり良い子に戻っていました。
〈河口湖〉7月早々に私の学生時代の仲間と私の富士山麓にある山小屋を拠点に登山とゴルフをするので、その準備にYちゃんを連れて山小屋まで車で行きました。あいにくの大雨で、高速道路を出た後の一般道は寂しい限りです。ここで退屈しのぎに考えたのが、道路上にいる人を見つけるゲーム。なにしろ、車は時々すれ違うものの、歩いている人など、外に人影を全然見ないのですが、それでも、ごくまれに雨中で道路工事をしている人や、寂れたコンビニの前辺りに人がいます。するとYちゃんは、「いた、いた!人がいたよ。Yちゃんが先に見つけた!」と、大騒ぎです。私が先に見つけた場合でも、気がつくのが遅れたふりをしてYちゃんの手柄にします。東富士五湖道路の篭坂トンネルを抜けたら、一転して青空。小屋に着いて私は換気をしたり掃除機を掛けたりしましたが、その間Yちゃんは、先ほどパーキングエリアで買ってもらった自分の名前のシールを器用に剥がして、持ってきた可愛いカバンに貼ったりしています。その後、河口湖畔へ。Yちゃんにとっては昨年11月の紅葉祭りのとき以来でしたが、水際で石投げをして遊んでいると、ちょうど同年齢くらいの兄妹が両親と姿を現し、一緒に石投げに興じてくれました。そんなときのYちゃんは本当に嬉しそう。湖畔沿いの店があまり営業していない中、開いているレストランをやっと見つけて遅い昼食を頼むと、店主の奥さんがYちゃんにはお菓子、私には珈琲をサービスで付けてくれました。
〈隣り駅のデパート〉この年齢は身長も体重も、そして足のサイズの伸びも早い時期のようで、Yちゃんの履いている雨靴が窮屈そうに見えたので、雨の日、車で、妻とともにYちゃんを連れて隣り駅のデパートまで買いに行きました。ずらっと並んだ女児用の雨靴の中から本人に選ばせたところ、薄いピンクのキャラクターもの。とても可愛く、試し履きして歩かせてみても大丈夫だったので、すぐに決定。新生児Kくんの衣類なども買ってショッピングを終了しました。3人でイタリアンで食事をして帰ろうとする途中、店内のアイスクリーム屋さんの横に大きな遊具が置いてあり、子ども達がたくさんいるのを見つけたYちゃん。早速そこで遊びたがりました。アイスクリームを食べるのもそこそこに、お友達に交じって遊び始めました。なかなか引き上げてこないので、私と妻はアイスクリームの後、マンゴージュースも頼んで間を持たせます。駐車場の無料時間がもうすぐ切れそうになった頃に声を掛けて、やっとあきらめさせることに。このような商業施設の中にも子どもを遊ばせる空間が充実してきたことに感心しました。
〈番外編:庭でプール遊びなど〉外に出かけたのではありませんが、6月といえど真夏日なった日がありましたので、昨年夏に買ったビニールプールを庭に拡げ、水道水と若干のお湯を入れて、プール遊びをさせました。一人で入っていても結構楽しそうに水鉄砲などで遊んでいましたが、従弟のY太くんが来たときに一緒に入らせると、キャーキャーと大きな歓声を上げて喜び満開です。天気の日の夜は花火もしましたが、去年までは少し怖がっていたのに、今年は自分で上手にロウソクから火を点けて、目を輝かせながら花火が燃え尽きるまで手に持っています。水遊びと花火は、昔から子どもの遊びの定番のようです。 
 あっという間に1ヶ月が過ぎ、娘一家が自宅に戻った後は、嵐の去った後のような静けさ。また夫婦二人の世界に戻りましたが、私には、孫と徹底的に付き合った大きな満足感が残りました。ひと月間を頑張り通したYちゃんも、こちらの生活を楽しんでいってくれたらしいこと、あるいは、おじいちゃんがYちゃんのために頑張ってくれた?ことを評価してくれているらしいことは、その後、Yちゃんから電話がある都度、「おじいちゃん大好き・・・」と言ってもらえることで推測できます。
  なお、当代、世間の子育て事情として垣間見えたことは、子育て環境としての社会資源が商業ベースのものも含めて、昔よりは随分増えたこと。その気になって探せば、おじいちゃんと孫が一日楽しく過ごせるようなところがあちこちにあることが分かりました。出生率向上のための環境整備が少しずつ進んでいることの表れだと思います。ただ、母親の就労等が増えている状況下、保育園の待機児童がまだたくさんおり、幼稚園も含めて、今回のYちゃんのような一時的保育ニーズを正式に受け止める場はないようです。このようなニーズも普通に満たされてこそ、出生率の向上が進むものと思われ、まだまだ道遠しの感がします。
  ところで、幼児が母親、あるいは両親と一緒ではなく、祖父母、とりわけ祖父と一緒に過ごすことは、3世代同居が当たり前の時代には珍しくなかったのかもしれませんが、核家族化した現代には違和感が強く、実際、児童館や図書館など、若いママばかりのため、私には落ち着かない居心地の場所が結構ありました。しかしながら、そのような場所でも祖父と孫という組み合わせは皆無ではなく、あちこちで僅かながらも同輩を見かけて嬉しくなったものです。今後は、必要な場合は祖父母はもちろん、地域の人たちも子育てに自然と協力するような風潮が広がれば、子育て環境における人的な資源はさらに充実を図ることができるように思います。