新・疾風怒濤

  これは我が家ではなく、娘一家の疾風怒濤です。6月いっぱいの出産里帰りを無事に済ませ、7月から自宅で親子4人の新生活を始めたのを見届けた私たち夫婦は、すぐに夏休み気分になりました。私は、大学時代の友人と一緒に富士山麓の山小屋を拠点に3泊4日で登山(といっても富士山ではなく、三ツ峠山)とゴルフ(石川遼君もプレーしたコース)、富士五湖巡りなど。妻はシアトル近く、タコマの友人の家に招かれて1週間の米国旅行。生まれて初めて、ヨットにも乗ってきたそうです。で、夫婦それぞれの早い夏休みも無事に終えて通常に戻った7月の第2週目。娘から朝早く電話が掛かってきて、「Kくんが急に高熱を出して、今、救急で見てもらっているところ」とのこと。家から車で10分くらいのところに小児総合医療センターがあるのですが、そこからです。
  さらに1時間くらい経った頃にまた電話があって、「血液検査の結果、RS感染症に罹っていることが分かって、入院になった」とのこと。その日のうちに入院しました。大きな病院ですぐにきちんとした治療を受けられることにひとまずホッとしましたが、聞き慣れない病名に、早速インターネットで調べてみると、冬季に流行り、インフルエンザのような症状になる。3歳児くらいまでにほぼすべての子どもが罹患するが、月数の少ない乳児が感染すると重症になることもある、などとあります。夜の電話で様子を聞くと、鼻に管を入れての酸素吸入や薬の点滴、やはり管を入れての吸痰などを行っているそうで、まだ2ヶ月にもならないのにこんな目にあったKくんが不憫でなりません。
  幸いその日はパパが休みの日であったので諸事スムーズにいきましたが、入院期間中の娘一家の体制は、娘がKくんの付き添い(個室のため、宿泊も可)、Yちゃんはパパおばあちゃん宅泊(幼稚園の送り迎えも)、パパはそれらの間の連絡、送迎等となったそうです。とりあえず私がやったことは、その日の晩からの飲酒の禁止。いざという場合の出動の意味もありますが、Kくんの早期回復を祈る願掛けも兼ねています。妻もいつでも応援に行ける体制にしました。
  ただ、Kくんの回復は早く、1日ごとに治療内容が軽くなって、5日目には退院できることに。私たち夫婦の出番はなく終わりましたが、退院した日の午後に妻が娘たちの家に行って泊まり、家事を手伝いました。私も、翌々日に会いに行きましたが、Kくんはすっかり元気になっていました。
 ところで、なぜKくんがこの感染症に罹ったのか、今後の予防のことも考えるとしっかり把握しておく必要があるのですが、娘夫婦には感染源は見当が付かない様子。ウイルス感染なので、ウイルスを持っていた人から感染したに相違ないのですが、出産里帰り後、乳幼児を含め何人か自宅に遊びに来たことはあっても、特にその症状を持っていた人はいなかったようで、やはり、真っ先に感染源と目されたのは、姉のYちゃん。幼稚園に通っていて、いつでもお友達などから感染してきそうだし、そういえば鼻水を出していたなど、疑われていました。しかし、鼻水は出していても、本人は極めて元気でいたようで、本当に感染源かどうかは分かりません。
  それよりも私は、新生児のKくんを連れて、Kくんの出産祝いのお返し(内祝い品)を買いに一家でデパートに行ったそうなので、そんな人混みの中で菌が移ったのではないかと思い、Yちゃん感染源説に異論がありました。もっとも、疑われたYちゃんは全く屈託なし。Kくん退院後に私が会ったときも、両親から厳しく指示されているらしく、外から帰ったら幼児用の石鹸で手を一生懸命洗い、「ウガウガペー」と何度もうがいをした後、さらにアルコール性の消毒液を手につけて乾かすのがすっかり習慣となっていました。その後は、「手を洗ったよー」と言いながらすぐに弟の手や足を愛おしくさすったりしています。娘は各部屋のカーテンを洗ったり、エアコンの掃除を外部の業者に依頼したり、家中の徹底した除菌に努めていましたので、最初の子のときよりもルーズになりがちな清潔保持に気がつく良い機会になったのかもしれません。
  笑ったのは、小児総合医療センターというのは、患児とその親が診察等を受けている間、一緒に連れて来られている兄弟など、子どもを預かるコーナーがあるらしいのですが、Yちゃんは一緒にセンターに連れて来られるとすぐに、「早く預けて!」と、パパやママを急かしたらしいこと。同じような子が何人か居て、遊び道具も置いてあるその場所がとても気に入っていたようで、積極的に楽しいところを求めたがるYちゃんらしい光景です。