津軽平野

  インフルエンザで休養中、テレビを見ていたら、歌謡番組で千昌夫が「津軽平野」(吉幾三作詞作曲)を熱唱していました。「津軽平野に雪降る頃、親父(おどう)は一人で出稼ぎに行くが、春には必ず土産をいっぱいぶら下げて帰ってくる。みんな寂しくなるけど、親父は慣れたか。山の雪が溶けて花が咲き、母さんがやけにそわそわする頃、親父はいつも”じょんがら”を大きな声で歌いながら汽車から降りてくる。お岩木山は見えたか親父」といった歌詞です。

  冬の間、家族のために出稼ぎに出る父親。寂しいけれど、それを温かく見守る家族。支える母親。春になると、父親はいっぱいの土産を持って、岩木山が迎える中を、意気揚々と帰ってくる。父親は、土産や現金収入だけではなく、都会の息吹も持ち帰ったのだと思います。父親の土産話に目を輝かせ、今度は子供たちが、学校を出たら集団就職で都会に出て働く。
  戦後の日本経済の高度成長は、この歌に出てくるような人たちの力もあって支えられたのは間違いありません。また、この歌には、家族のために一生懸命に働く父親の責任感や力強さ、温かさがとても感じられます。私も九州から出てきて東京でずっと働いてきました。そして、私の息子も、また娘の夫も、しっかりと身を粉にして働いています。そう言えば、私の父も、話に聞く祖父や曾祖父も、とても働き者だったようです。
  もちろん、女性が働くことがあっても良いし、実際、働いていますが、男性が、息子として、夫として、また父親として家族のためにしっかりと働くことが、まず、古今東西にわたる人類普遍の基本的営みであったといえます。しみじみとこの歌を聴きながら、男として頑張って働いてきた自分自身や、息子や、娘の夫のそれを振り返り、深い満足と、やや高い体温の影響もあってか?、胸にじんと迫るものを感じたのでした。