abさんご

  「abさんご」とは、平成24年度下半期の芥川賞を受賞した小説の題名です。作者の黒田夏子さんが75歳で、芥川賞史上最高齢というのが話題になりました。そのような人が、いったいどのようなみずみずしい小説を書くのか、とても興味が湧いて、文藝春秋の今月号を買ってきました。毎朝聞くラジオ番組があるのですが、そこの私よりもやや年配のパーソナリティが、「早速読んでみたが、読みづらくて途中で放り出した」と、面白おかしく言っていたのにも影響されました。
  亡き父の影響で、芥川賞が発表される月の文藝春秋だけは毎回必ず買っていた私ですが、いつの頃からかその習慣も途絶えて十数年、全く久しぶりに買って、まず読んだのが芥川賞の選考欄。9人の選考委員のうち、半数くらいは名前も聞いたことがない方たちです。選考委員は過去の受賞者の内から選ばれますから、同賞の近年の動向に無縁であった者にとっては致し方ないところ。昔は文豪と言われるような大物の委員ばかりであったように思うのですが、これでは石原慎太郎氏が1年前くらいに委員を降りた理由も分かるような気がしました。
  その全委員の選評と、その後の頁に続く受賞者の黒田さんと、黒田さんと早稲田の国文で同級だったという、NHKアナウンサー上がりの随筆家、下重曉子さんの対談を読んだ後に、やおら「abさんご」を読み始めました。
  全文横書きで、句読点も英文用のカンマとドットです。漢字もありますが、ひらがなを圧倒的に多用。カタカナはなし。会話体がなく会話体に通常使うカギ括弧もなし。確かに読みづらいのですが、これはすぐに慣れるとして、私が困ったのが、話の筋を追うこと。話が一定の展開を見せるかと思うと、すぐに違った話が入ってきます。時代も簡単に逆戻りしたりします。要するに何の話が書かれているのかが、何の予備知識もないままにこの小説を読み始めた人にはとても分かりづらいだろうと思います。 
  予備知識なしのまっさらな状態で読み始めるか、一定の予備知識を持って読み始めるか、小説の鑑賞の仕方としてどちらの方が良いのかは難しいところです。しかし、私のようなイマジネーションに乏しい者にとっては、前述したように、事前に選評を読み、作者自身の対談も読んだ後で本編を読んで助かりました。
  要するにこの小説は、4歳の時に母親を結核で亡くし、学究の父親と二人きりで生活をしてきて、その間にはお手伝いさんも家に入ったりし、大学を出てから女子校の先生も経験した後、いくつかの職業を経験してきた、作者自身の自伝といえます。
  母親や父親の死を見つめ、戦中や戦後の時代背景の中で、作者の心の中に浮かんできたよしなしごとを、ひらがなの多い文章の中に、自由にちりばめたものといえます。私も世代的に近いので、この作品に出てくる、蚊帳(この作品では「やわらかな檻」と表現)の記憶や、住み込みのお手伝いさんの存在など、スムーズに理解できて、私が育った時代の原風景を思い出させることばかりでした。
  で、なぜこの小説が芥川賞を受賞したかですが、私なりに考えると、書き連ねたよしなしごとに漂う日本的な情感と、それを可能にした横書きのひらがな多用文のリズム性。そのような文体や手法を導入した斬新さが、芥川賞の目的である純文学の新人発掘的な面にも合致したからではないかと思います。
 対談の中で作者は、情緒的で湿った感じのする縦書きに比べ、横書きは機能的。ひらがなは漢字と違って意味を限定しないし、語源まで遡れるような気がするから好き。リズムや音楽性のある文章を求めている。今後もこのような文体で小説を書くと言っています。
  75歳の新人の、全く意表をつく形での文学形式への挑戦。5、7調の韻を含んだリズムも良いのですが、自由律俳句や、一部で行われている五行歌(音数に制限なく、簡潔な言葉を5行に分けて連ねる詩歌の新しい形式)にも似て、これもまた日本語の素晴らしさを十分に示していて共感できました。ただ私は、難しすぎて絶対にこの形式は使えませんが・・・
  というわけで、一応はなんとか読み終えたこの小説ですが、いまだによく分からないのが、「abさんご」という題名の意味です。冒頭の文章に、aのがっこうbのがっこうという選択的な表現があり、巻末にまたaの道、bの道という選択的な表現があるので、より複雑な選択肢の象徴として多数に枝分かれしている形状の「珊瑚」を持ち出し、頭にabと付けたのではないかと思います。つまり、人生はaかbか、多くの別れ道があり、どっちに行こうと、人はその定めに従うしかないという、人生の曖昧模糊さやはかなさをこの題名に込めたのではないかと思うのですが・・・
  久しぶりに文学に触れて楽しいひとときでした。読書が好きなYちゃん、Lちゃん。ぜひ将来は文学も楽しんでもらいたいものです。