回想趣味

  「昔のことを振り返ってばかりいる」と、妻に言われたことがあります。自分では結構前向きな人生を送っているつもりなのですが、楽しいことを探して万事積極的に生きている妻から見ると、思い出話の多い私は物足りないのかもしれません。実際、妻とは生き方がだいぶん違っていて、海外旅行好き、それもアメリカ人の旧友に招かれてしょっちゅう一人で渡米(今現在もコロラドに行っていて、明日帰国予定)したりもする妻と違って、私は日本国内を地べたを這うようにオートバイで駆けるのが好きで、行き先もひなびた海岸や山里、旧蹟がほとんどです。
  また、妻は、断片的なコメントを書いて「いいね」をもらって終わりのフェイスブックを開いているのに対し、私はそんなのではなく、長文で記録としても残せるブログを開いているといった具合です。そういえば、誰とでもすぐに親しくなれる社交的な妻と違って、私は子供の頃から人見知りをする性格で、この年でも、ややその傾向があります。
  一般的には、活動的で社交的、未来志向の人の方が断然評価が高く、活動範囲が狭くて、昔のことを振り返ってばかりいるような人はマイナス評価のような気がしますが、私も含め、そのような「回想趣味派」の人間が少し自信を持てるような記事に出会いました。
  先月の日経夕刊のシニア記者がつくるページに、元京都大学教授の山田稔さんへのインタビュー記事が載っていて、この方の回想趣味はすごいのです。現在82歳になる山田さんですが、二十歳の頃から回顧談をやっていたとかで、「子どもの頃から内気で人見知りが強かったから、いま生きている人と直接対面する、接触するのが怖いというか不安。その点、過去の人、過去の出来事は安心してつきあえる」とのこと。小説やエッセーを書く方ですが、「書くことで、過去の時間をもう一度生き直している」とも言っておられます。
  この記事の大見出しには、「昔とつきあう心地よさ」とありますが、この方のエッセーの中の言葉、「一般に回想とよばれるものは、過去の自己の生涯との和解の上にたち、自己及び他者への寛容を基調とする。そこには喜怒哀楽のうえにさす老年のやわらかな微香がある」からは、ゆったりとした人生の良さが、ひしひしと伝わってきました。
 ここからは私の我田引水ですが、人は、幸せの渦中にあるときにはその幸せを感じずに過ごし、後になって、嗚呼あのときは幸せだったと気がつき、懐かしむことがあるものです。だから、その幸せの渦中のときに、それをしっかりと記録しておけば、後年、その幸せを追体験として、一層、懐かしむことができます。
  私が記録することの大切さを痛感したのは、過去、ごく親しい楽しい仲間と、BMWの大型オートバイで北海道や東北、北陸、山陽山陰など、日本各地をツーリングをしていたのですが、今はもう大型オートバイではそれができなくなったことによります。ただ、全くラッキーだったことに、私はツーリングの写真や記録を自分の開いたホームページ(http://www2u.biglobe.ne.jp/~smueno/)に残してきましたので、今もその時々を鮮やかに思い出すことができます。
  この「まご追い日記」も、私の宝ものである孫たちの成長を見守り、時々交流するという、人生で最も幸せな時間をしっかりと記録し、私の記憶に留めたいという思いから書いています。
  全くの私的な記録なのにブログの形で残しているのは、記録の保存とアクセスの容易さがあります。もしどこかに数人でも外部の読者の方がおられるとすれば、ツーリングの記録の時に仲間に言われたのですが、私の書いたものはだらだらと長くて全部まで読む気がしないそうなので、この日記もそうかもしれません。
  また、孫の話は自分だけでやってくれとも言われそうですが、たまたま私の孫を通して語っていますが、乳幼児の可愛さは古今東西、普遍的なものだと思うのですが・・・。そう言うこと自体、じじ馬鹿が極まっているのかもしれません。