子どもに「子どもをさせる」

  先日の日経新聞夕刊で、建築家の安藤忠雄さんが子育てに関してとても良いことを述べていました。以下、少し長いですが引用すると、「元気良く走り回る子どもを見ることが少なくなった。親は子どもを突き放す勇気を持つべきだ。学校が終わると学習塾のはしごでは、自分で物事を決める『放課後』という”余白”の時間がない。親の決めたルールに従って自分で何をするか決めずに育った子どもが、大人になって急に決断力を持てるはずがない」「勉強は重要だが、長い人生を生き抜く基礎を子どもの頃に養うことが大切だ。自立心や行動力、人を思いやる心といったものの多くは遊びの中で培われる。友達と魚を捕ったり草野球をしたりするうち、自分の思い通りにならないのが当たり前だと分かり、人との付き合い方を学ぶ。今の子ども達にはその時間がない」と指摘。いくつかのエピソードも紹介しています。
  大学教育を受けていないが建築家として成功し、東大教授も務めた同氏が言うことだけに迫力があります。結びの言葉には、「私は子どものときに子どもをしていたから、自分で危険を察知し理想を求めて懸命に走ってこれた。自分で考える機会を与え、自立した個人を育てる。教育の基本はそこにある」とありました。
 確かに、今の子ども達の生育環境を見ると、大人が介在する場所や場面がほとんどです。保育園、幼稚園、学校、学童クラブ、水泳やピアノ等のお稽古教室、少年野球やサッカーのクラブ、お受験塾、学習塾、等々。ビルの中に有料の幼児遊び場があったりもします。このような状況が進み、アンタダさんが懐かしむような、子ども達だけで魚釣りに行ったり、原っぱで遊んだりといった光景がほとんど見かけられなくなったのには、さまざまな要因が重なり合っているように思います。
  まず最も大きい要因は少子化で、親が個々の子どもに掛ける時間とお金が増え、少ない子どもを大切に育てる気持ちがお稽古事やより良い進学を目指すことにつながっていると言えます。一方で、学童クラブなど、従来の保育園や学校以外に社会的養育のシステムが整備されるとともに、企業も、子ども関連事業を大切なビジネスチャンスとして展開し、充実してきています。また、都市開発で子どもが自由に遊べる原っぱが無くなった、交通事故や子どもに危害を加える事件の発生など、子どもの安全面からの環境の変化もあります。子ども達は、自由に過ごせることなく、親やその他の大人たちの過干渉と過保護の中で育っていると言っても過言ではないようです。
  そして、家庭や社会のこのような変化が、子どもの自立心や、子ども同士の中でしか芽生えない思いやりや協調性の涵養といった面で、やはりマイナスの作用をしているように思います。近年、いじめとそれによる子どもの自殺が後を絶たず、若者のひきこもりが増えるなど、深刻な社会問題が生じていますが、それらが起因するのも、結局はこのような環境の変化によるところが大きいのではないでしょうか。

  「子どもは子ども同士の仲間を欲しがっている」、これは、孫という身近な存在を見ていて、最近私が痛感していることでもあります。この春、2歳半を過ぎたばかりのLちゃんはお友達を強く欲しがって保育園に入りましたし、そこで慣れたのか、Lちゃんママの話では、5月の連休に遊びに行った観光地で、今までなら入るのをためらっていた見ず知らずの子ども集団の中に一人で入っていって遊べるようになったそうです。
  そして5歳になるYちゃん。生来の人好き、外好きですが、やはり大人相手よりも友だち同士の方が楽しいようで、ずっと以前に私が娘の家を訪ねたとき、家の前でチョークやボールを抱えて立っているYちゃんに、「何してるの?」と聞いたら、「友だちが通るのを待っているの」とのこと。同年かやや年長の子どもが何人かいる住宅地ですが、誰か通りかかったら声を掛けて、一緒に遊ぶ。そのためにも相手が喜びそうな道具を持って待っているようでした。いじらしさを感じるとともに、子どもにとっての子ども仲間の重要性を痛感しました。
 自然発生的な子ども同士のつながりができるのが一番ですが、それがなかなか難しいとすれば、大人はそのための場をつくってやるだけにして、遊びは子ども達に任せる必要があります。そして何よりもやはり、大人が干渉しない子どもだけの主体的な遊びの機会をつくらせるために、お稽古事や学習塾等は最小限にして子どもに自由な時間を確保させることが不可欠です。また、少年野球や中学校に入っての部活などは、大人の指導者がいるとしても、仲間同士のチームワークが養われるとともに、切磋琢磨がある場として、意義深いと思います。
 Yちゃん、Lちゃん、Kくんも含め、世の中のすべての子どもに、「子どもをさせる」のは私たち大人の責任です。少し孫にかまい過ぎ、あるいは甘やかし過ぎであったかもしれない自分自身への自戒を込めて、アンタダさんの素晴らしい話を読んだ次第でした。