プロダクティブ・エイジング

   最近、あるきっかけから、医師であり世界的な老年学の権威である故ロバート・バトラー博士が推進してきた「プロダクティブ・エイジング」について、改めて関心を持つようになりました。19年前(1994年)、ニューヨークで開催された高齢社会に関するシンポジウムで博士のお話を伺ったことがあるのですが、先月、博士のことをさらによく知る人から再学習を勧められたことによります。その方は日本人ですが博士に深く私淑し、執務机の上には博士の写真が飾ってありました。
  博士のいうプロダクティブ・エイジングの理念では、「高齢者を社会の弱者として差別や偏見の対象とするのではなく、すべての人が老いてこそますます社会にとって必要な存在であり続けること」が目標とされています。高齢者を弱い存在としてひとくくりで考えるのではなく、高齢者の経験と知識や見識を有効に活用することが社会の活力を生み、また財産となるという考えです。博士は、母国アメリカの高齢化を見据えて30年以上前からこの考えを提唱し、人々の意識や国の政策の変革を進めてきましたが、世界で最も高齢化が進んだ国である日本においても、この考え方が広く受け入れられるようになっています。いま、日米をはじめ世界11カ国に、それぞれの国も支援して、この運動を推進するILC(国際長寿センター)という組織があります。
   2010年に83歳で亡くなられた博士ですが、幼少期を養鶏業を営む母方の祖父母のもとで暮らし、大恐慌の時期も生活を共にして、高齢者の強さや忍耐力、挑戦力を彼らから学んだそうです。しかしながら当時、アメリカにおける老後の生活は悲劇に見舞われることが多く、病気や老化、低所得化などに対する保健医療、年金、居住等の政策が不十分であり、また人々の高齢者に対する意識にも問題が多かったことから、博士はまず、高齢者に対する差別や偏見を「エイジズム」という言葉で表し、その払拭に努める活動を起こして、国の政策や人々の意識の変革を図っていきました。その成果は、アメリカには定年制が無いといったことにも見られます。
   博士は、当初は高齢者の「権利」の拡大を重視しましたが、次には長寿社会を享受するための高齢者自身のあり方を課題とし、「責任あるエイジング」の概念を展開。「高齢者の自立と活力を支え、ひいては社会貢献を促す良好な健康状態が必要である」として、財源や優れた医療以上に、個々人が自分自身がより良く幸せに生きるための責任を負うことを求めました。博士は、禁煙と健康に良い栄養の摂取、そして運動を推奨し、自身も率先して実践。日本食を愛し、晩年まで週末にはウオーキングクラブに欠かさず参加していたそうです。
  プロダクティブ・エイジングの考えは、少子高齢化が急速に進み、人口の減少も進んで行くようになった日本でこそ特に重要です。まず、生産年齢人口の減少に伴い危惧される経済成長の鈍化や、年金、医療等の財政負担の問題等に対処するためにも、元気な高齢者にはできる限り働いてもらい、税金や社会保険料も負担してもらう必要があります。同じ意味で、女性の就労促進も重要です。博士は、「日本やイタリア、ドイツなど、人口減少を懸念する国々も心配することはない。人口成長ゼロは、むしろ自然資源等とのバランスを保つのに役に立つし、人々のQOLを高める可能性もある」と言っています。
   元気高齢者が増えることは、医療や介護に関わる出費が減少することにもつながるとともに、旅行や趣味、娯楽などの消費が増えることで、国の経済に貢献することにもつながります。もちろん、ボランティアとして、子育て世代への支援をはじめさまざまな活動をすることも、社会への貢献となります。近年我が国では、年金、医療等の財政負担を巡る高齢者とそうでない世代との間の不公平や格差の問題が指摘されていますが、プロダクティブ・エイジングの推進により、それらの解決に近づくとともに、広い意味において、世代間の対立をなくし世代や人の融和による共生社会をつくることが期待できます。

   「年寄りをいつまでも働かせるのは可哀想」とか、「老後はのんびりしたい」などと言う人がいるのも現実ですが、働くことや活動することを押しつけられて行うのではなく、あくまで自分自身にとってプロダクティブ(創造的)なことを行えば良いのだと思います。私の同年代の仲間にも、まだ現役で働いている者がいる一方、奥さんと海外旅行三昧をしたり、自分史を書いて自治体の文学賞を受けたり、農作業を始めて収穫物を送ってくれたりする者がいて、多彩です。要は、高齢期を無為に過ごすことが一番良くない。日本のILCでは、生活習慣病対策と介護予防の推進を活動の大きな柱としています。
   以上は、プロダクティブ・エイジングのにわか再勉強で得た私の情報の概要ですが、正真正銘の高齢者となった現在は、まだ50歳前にバトラー博士にお会いした時の何倍も、この考えに共感を覚えます。そこで、この考えに沿って私なりに、次の「3つの自覚」なるものをつくってみました。
①老いても社会の中で役割を果たす自覚
  高齢者の就労は、若者の正規雇用が進まないと言われている状況もあるので、それに影響を及ぼさない配慮が必要ですが、私の現在の仕事は幸いその関係はないので、請われれば続けるしそうでなければ速やかに身を引くことにします。子育て支援や、社会に公徳心を取り戻す運動のボランティアなど、とにかくささやかでも社会の中で役割を果たしていきたいと希望しています。
②健康長寿を目指す自覚
  バトラー博士も説くように、健康寿命を目指すのは、自分の責任で行わなければなりません。幸い喫煙はしませんが、飲酒を控えめにし、食事はカロリーを摂り過ぎないようにする、そして毎日運動をするようにしたいと思います。通勤ではたっぷり歩いているのですが、その他の運動はついおっくうでやりたがらないので、これが一番の課題です。
③天命に従う自覚
  このように努めても、いずれ病気や老衰になる時期が来ますが、その時には、そこが天が定めた寿命として、従容として従う。つまり、余計な治療をやりたくないということで、無理な延命で自分の尊厳を傷つけられたくないし、医療費がもったいないなどの理由があります。また、自分の人生はこれまで十分に幸せだったということで思い切れる部分もあります。