子どもの貧困

  あまり話題になりませんでしたが、今年の6月に国会で、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」というのが成立しました(施行日は公布から1年以内とされているが未定)。法の目的には、「子どもの将来が生まれ育った環境によって左右されることのないよう、貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図るため、子どもの貧困対策を総合的に推進することを目的とする」とあります。
  この法律自体はプログラム規定のようなもので、これに沿って今後、国や地方自治体では子どもの教育の支援、生活の支援、保護者に対する就労の支援、経済的支援等につき、具体的な施策を講じていくこととなりますので、現時点で特段に何かが変わるというわけでもないのですが、やはり画期的な法律ではあると思います。
  まず、この法律の制定の背景には、日本の子どもの相対貧困率(世帯所得をもとに国民一人ひとりの所得を計算して順番に並べ、真ん中の人の所得の半分に満たない人の割合。この指標によると日本では2009年時点で、17歳以下の子どもの約16%、320万人以上が貧困状態にある。一人親世帯の子どもに限ると貧困率は5割を超えるとされる)が先進国の中でも高く、これを改善していく必要性があるとされています。
 ただ、その辺りはあまりぴんと来ない人が多いのではないかと思います。今の日本には、終戦後しばらくの間のような、衣食住にも事欠くような「絶対的貧困」は見られませんし、日本や他の先進国の相対的貧困レベルよりも決定的に低い貧困レベルの発展途上国が世界にはたくさんあるからです。それらの国ではストリートチルドレンがまだたくさん存在していますし、私は、半年ほど前、カムラリと呼ばれるネパールの少女強制労働を取り上げたTV番組を観て衝撃を受けたことがあります。孫のYちゃんと同じ年頃の女の子が貧しさ故に他の家庭に売られ、学校にも行かずに早朝から深夜まで女中として働かされていたのです。
  日本にもTVドラマの「おしん」のような苦労をした子どもたちがかつては存在しましたが、現在はありえず、それだけに日本の子どもの「貧困」を真正面から取り上げたこの法律に最初はやや違和感を覚えました。現在の日本において衣食住に事欠くような環境にいる子どもたちは存在せず、もし存在しかかっても、最低限度の文化的生活を営む権利を保障する生活保護制度等があって、救済されるはずだからです。

  他の家庭と比較して多少貧しい暮らしをしていても、家族みんなが仲良く、楽しく暮らしているならば、夫婦や親子間でいがみ合って暮らしている金持ちの家庭よりもよほど幸せであるとも思いました。少し前に何かで読んだのですが、経済的にゆとりがないと入れない私立の小学校に通う子どもの母親たちの間で、見栄の張り合い等により悩んだり疲弊する人たちが多いとのことです。つまり、少々給料が高いくらいのサラリーマン家庭では、土地持ちや医者など、高額所得者家庭に太刀打ち出来ず、だんだん居づらくなるような競争があるとのこと。
  要するに、貧困だから不幸せ、そうでないから幸せというものではないということですが、それでもやはり冷静に考えていくと、相対的貧困により、社会の平均的な暮らしぶりに届かない家庭があり、そのために子どもたちが、例えば、他の家庭の子は持っている物を買ってもらえない、同じような体験ができない、修学旅行に行けない、上級学校に進学できないなどの状況に置かれたとしたら、やはり不公平です。
  結果の平等は無理であっても、少なくとも人生のスタート台にいる子どもたちには機会の平等は保障して、何にでもチャレンジさせる必要があります。この法律には、貧しいがためにいろいろなことにチャレンジできずにいる子どもたちに、チャレンジする機会を与え、貧困を克服させて、貧困の連鎖をなくす狙いもあります。
  この法律により日本社会が格差社会でなくなるように努めるとともに、日本社会にのみ目をとらわれず  世界中の子どもたちから貧困をなくすことにもつなげていきたいと願っています。