避難所運営訓練

  昨年秋に取得した防災士の資格。1年間、特に役に立ったことはありませんでしたが、防災に関する意識だけは高く、今年もあちこちで発生した異常気象がらみの暴風雨災害に心を痛めていました。特に、大型台風による伊豆大島の土砂災害で、50人近い島民の方々が犠牲になられたことに関しては、大島には時々渡っていますので、胸の張り裂けるような思いでした。
  自然災害大国、日本で暮らす我々は、日頃より備えだけは怠ってはいけません。一番の備えは、安全堅固な家に住むことです。実は我が家は、横浜市の無料耐震診断を受けたのですが、建築基準法の耐震基準が強化される前の昭和52年の建築のため、案の定というか、耐震強度1を下回っていました。市の補助金も出る耐震化工事を勧められましたが、壁を剥いだり大工事になるので、防災士にあるまじき判断ですが、「運を天に任せて」パス。次善の策として、万一の大地震に備え、ずっと以前から家の中のタンス類をすべて処分し、天井から床まで直付けの抽斗付きクローゼットに改装し、本箱も造り付けにしています。そして、1階のほうが倒壊の可能性が高いので、2階で就寝しています。
 で、前置きが随分長くなりましたが、ここからが今日のテーマである「避難所運営訓練」に結びつくのですが、防災士を対象としたその研修に職場から参加する機会がありましたので、私も参加してきました。次善の策に次ぐ三善?の策となりますが、大地震で運良く生き延びた場合に事後的に入ったり、土砂災害等で避難勧告等が出た場合に入る避難所について予め学んでおきたいと思ったからです。
  TVではその光景を時々見てはいても、私も含め大多数の人は避難所に入ったことはないと思いますが、その運営等は実に大変なものがあります。研修で模擬的に体験したことや聞いたことで印象に残ったことをアトランダムに記すと次の通りで、避難所を運営する側も利用する側もしっかりと心しておき、本番での混乱を少しでもなくすことが出来ればと思います
日本赤十字社ホームページから借用
 ①まず、「避難所を運営する側も」と書きましたが、避難所はそこの自治体が設置し運営に責任は持ちますが、役所もすぐに体制が組めなかったり、職員が足りなかったりするため、運営は避難者自身が主体的に行う場合が多いようです。その場合、住民有志が責任者や仕事に応じた各班(総務、避難者管理、施設管理、食料物資、救護、衛生、情報など)を組織し、協力し合いながら過ごします。行政も交えて、平時に訓練を重ねておくことが重要だと思いました。
  避難所は地域の小中学校等に設置される場合が多いため、よく間違いやすいのは、そこの学校の先生を運営スタッフと勘違いして、何でもやらせたり、文句を付けたりする人が多いとか。避難住民も、避難所でお客様として過ごすのではなく、元気な人は各班の仕事を積極的に手伝う必要があります。
 ②学校が避難所になった場合、学校には教室や職員室、保健室、体育館など様々なスペースがありますが、その各スペースの割り振り等についても学びました。まず、理科室など危険があるところは立ち入り禁止にする。そして、元気な人たちは体育館に入ってもらう一方、要介護高齢者や妊産婦など、援護がいる人たちは少し離れた教室に入ってもらう。本部や受付は玄関を入ってすぐのところ。仮設トイレは体育館の近く。救援物資の貯蔵や配付の場所も決めます。
  先日の伊豆大島の災害の時、大島高校の体育館いっぱいに、何百人分もの縦に二つ折りされた毛布が整然と並べられた状態が放映され、あんなに大勢が一緒の部屋でよく眠られるのか、トイレに行くときも大変、などと危惧したものです。しかし、研修で学んだところでは、最初の段階は、大勢が一緒の部屋に入ったほうが、避難者全体を把握でき、かつ、共通の情報を同時に提供出来て良いのだとか。大事なことは、他の世帯のスペースや通路部分に食い込んだりしないよう、割り当てられたスペース内で整然と過ごすマナーです。
③何百人も一緒の体育館の生活でやむを得ないとしても、前述のように要援護者とその付き添いには別室が用意されますし、病人用の救護室、女性用の更衣室や洗濯物干し場等も別に確保されます。その点、学校は教室がいくつもあって避難所にはうってつけです。運動場の片隅等には、連れてきたペットの収容スペースや、喫煙者用のスペース等も確保されます。
 ④避難所の開設直後では、水・食料や毛布等は、学校の備蓄倉庫に入っていたものだけで過ごす必要があります。数に限りがある場合は、要援護者中心になるため、毛布が行き渡らなかったり、食料が少なめだったりしますので、避難のために自宅を出るときには、必要最小限の食料や毛布等を家から持ってきておいたほうが良いようです。  体育館にせよ教室にせよ、板張りの上に毛布一枚で寝転がるのは痛いし、季節にもよりますが寒さが堪ったものではありません。食料については、今回研修ではアルファ米50人分が一つのパックになっているのに熱湯を注いで炊きあげる練習もしました。具も入れてとても美味しかったですが、常に十分な量が備蓄されているかどうか分かりません。通常、被災3日目くらいから救援物資が届くようになるとされていますので、それまで持ちこたえることが重要です。学校の保健室には胃腸の薬や風邪薬くらいはあるようですが、高血圧の薬やその他、大人の持病の薬は皆無なので、自分や家族の常備薬を持ち込む必要もあります。 
 いずれにしても、避難所生活というのは極めて特異な我慢生活になるので、2、3日間ならまだしも、それ以上にかかる場合は、できれば他に脱出を図ったほうが良いようです。交通手段の問題はありますが、被害が少ないか無かったところに移るためにも、親戚や友人等の日頃からのネットワークを持っていることが大切だと痛感しました。
  以前、三宅島の噴火で全島避難があったとき、当時の石原慎太郎知事は、「都民を地べたに寝かせるようなことはしない」と言って、全避難島民に都営住宅の空き家等に電化製品等も準備し、そのずっと以前の大島噴火による全島避難の際には港区の体育館で避難島民が生活を送ったのに比べて、際だった対応となりました。行政には、このような気概を持って住民の避難生活を考えてもらいたいものです。