百人一首

  この年末年始も孫が来て賑やかでした。孫3人が揃った大晦日と元日は、Yちゃんが始めたばかりの縄跳びに庭で挑戦するのを、みんなで声援。全然飛べなかったのが、21回まで連続で飛べるようになって帰って行きました。帰宅後10日経った昨日の報告では、連続55回の新記録を作ったそうです。

  縄跳び以外では、Lちゃんが得意なジグソーパズルなど、寒いので部屋の中で取り組める遊びをたくさんしましたが、Lちゃんよりもさらに1泊多かったYちゃんには、新たに小倉百人一首を教えました。実は昨年の正月も少し教えようとしたのですが、絵の描いてある読み札ばかりに目が行き、しかも、「きれいなお姫様の札じゃなきゃいやだ」と、女性歌人の札だけを集め、特に坊さんの絵の札を嫌がるなど、ゲームになりませんでした。
  今年は、私が読み札を全部預かり、YちゃんとYちゃんのパパとママは下の句だけがひらがなで書かれた取り札を囲んで、「さあ、Yちゃんは何枚取れるかな」と、闘争心を煽ります。そして私が、酔いも手伝って、変な節回しを付けて詠み人の名前と歌を詠み上げ、さらに下の句だけをもう一度繰り返します。取り札のひらがなは旧字が使ってあり、かつ、濁点も付いていないのですが、例えば、「けふここのへに にほひぬるかな」を「きょうここのえに においぬるかな」などとは読まず、Yちゃんが字をそのまま追えるように、「けふ ここのへに にほひぬるかな」と、書いてあるとおりに読みます。要するに、意味理解よりも文字認識優先というわけです。 
  しかも、なかなか分かりづらそうにしているときには、いろはかるたの時のように、「『け』だよ、『け』」と、最初の1文字を強調してあげます。するとYちゃん、結構どんどん札を取っていきます。終わってみると、パパに次いで2番。Yちゃんパパは、縄跳びも30回できたし、子供に手加減をせず、乗り越えられない壁のように存在を示しますが、このほうが子供によりチャレンジ精神を起こさせて良いことだと思います。いつかパパを超える日が来ることを信じています。3人の孫すべてが字を読めるようになったら、子供たちだけで競わせるのも楽しいことでしょう。
  それにしても、久しぶりに百人一首に触れて、王朝時代の和歌の素晴らしさを改めて感じました。昔の日本の自然や、自然にこと寄せて読んだ人情、社会、恋心、宮廷絵巻、等々が、多彩な言葉で、掛詞などの技巧も交えながら、百人のそれぞれ個性豊かに詠み上げられていて、日本は、世界に誇りうる文学を既に800年も前に築いていたのだと感じ入りました。
  そして、この伝統は、今日の日本でも脈々と受け継がれてきています。という感を深くしたのは、最近の週刊誌で、美智子皇后のお歌を解説する記事を読んでからです。ご成婚の頃から徳仁親王がお生まれになった頃、海外ご巡幸、ご自身の失語症の頃、天皇陛下のこと、神戸や東北の被災地を見舞われた際など、多くのお歌が、家族や国民を思う優しい御心に溢れています。しかもそれが、奥深く品性のあるやまと言葉で書かれています。現在流行っている、口語体の生活短歌的なものとは明らかに異なる、雅で、それでいて飾らない御心のままをありのままに詠まれた素晴らしい作品の数々です。もちろん、作歌をご進講する専門の歌人のお導きもあるのでしょうが、美智子皇后の素から持たれていた感性のなすところがとても大きいと心から感嘆します。
 「バーミアンの月ほのあかく石仏は御貌(みかほ)削がれて立ち給ひけり」。アフガニスタンを旅されたときのお歌です。異教徒タリバンに破壊された石仏が顔面を削がれてもすっくと立っていて、蛮行にもめげず、むしろ、その行為をも包み込んで存在を続けているという、御仏の大らかさや強さを歌われたようで、私は、美位子皇后のこのお歌に、誠に誠にありがたい気持ちを抱かされます。
  携帯電話やスマホに夢中な人の多いこの時代。日本古来の素晴らしい文学である和歌に、孫たちが自然に親しんでくれるよう、来年の正月はさらに工夫を凝らして、百人一首に親しませたいと思った正月でした。