クラシックギター

  先週、クラシックギターの全国コンクールで上位入賞した人たちが出演する「ニューイヤーコンサート」を聴きに行ってきました。私が昔習っていたギターの先生がこのコンクールの審査員を務めているご縁でご案内をいただくので、毎年必ず足を運んでいます。私の先生はじめ重鎮の方々数名の演奏を間に挟みながら、10代から30代の若手ギタリストの演奏が続き、ニューイヤーに相応しいフレッシュさが溢れたコンサートで、大いに楽しんできました。
  400人ほど入る会場の片隅で演奏を聴きながら、改めて感じたのは、ギター音楽の素晴らしさです。オーケストラによる交響曲の演奏、ピアノやバイオリンの独奏、ブラスバンドの演奏等々、さまざまなコンサートがあり、行くこともありますが、ギターコンサートで感じるものはそれらとは何かが違う。その何かとは何だろうと考えているうちに、ギター音楽の持つ精神性のようなものに気が付きました。
  たいていの場合、ギターコンサートではギタリストが一人、舞台中央の椅子に座って演奏をしますが、その音はマイクを通さず、生の音のままです。それでいて、会場いっぱいに拡がる音の豊かなこと。優しく澄んだ高音部も太く響く低音部も、すべての音が美しく共鳴して、聴衆の身体を包みます。コンサート会場の反響板の効果が一番大きいのは、ギター演奏の時ではないかと思うほどです。

  そして、たった1台で弾いているからこそ、音の深みと繊細さも際立ってきます。バイオリンの演奏の時によく、「研ぎ澄まされた音」という言葉を聞くことがありますが、ギター演奏の場合も、まさにそのような表現が当てはまります。私の先生が以前、「音を磨く」ことを追求していると言っておられましたが、共通する表現です。
  バイオリンは弦に馬のしっぽの毛でできた弓を当てて弾き、マンドリン(この日もギターとのアンサンブルがありました)はべっ甲やセルロイドでできたピックで弾きますが、ギターは右手の指の爪先で直接に弦を鳴らして弾きます。爪先の長さや磨き方で微妙に音が変わってくることもあり、他の楽器よりもさらにヒューマンタッチな楽器といえます。
  ギターコンサートで一番肝心なのは演奏に耳を澄ませ、音楽に浸ることであるのはもちろんですが、私は、各演奏者が持つギターの手工芸品的な味わいに目を凝らせることも楽しみにしています。会場内の照明に照らされて、独特な丸みやくぼみを持ったギターのトップや側板の茶色や白っぽい色が美しく輝き、その素材である木の温もりが伝わってきて、見ているだけで癒されます。
  「ギターは小さなオーケストラである」という言葉があります。もちろん、壮大な交響曲の演奏等はできませんが、西洋音楽の伝統と神髄は十分に伝えることができます。この日のコンサートでも、スペインの曲のほか、ベートーヴェンやヴィヴァルディの曲も演奏されましたが、聴き方によっては、ギターの表現力は、大人数のオーケストラにも匹敵するものがあるといえます。ちなみに、以前、私が先生に付いて習っていた頃は、簡単なエチュードにもクラシックっぽさを感じて嬉しかったものでした。
  たった1台の小さな楽器で聴衆の心に響く演奏ができるという点で、私は冒頭に書いたように、この日、ギター音楽の持つ深い精神性に改めて気が付きました。健気さ、素朴さ、自然志向、気高さ、慈しみ等の感情も感じました。これは、小さな孫たちと接するときの感情にも通じるものといえ、ギター音楽とはこれからもずっと付き合っていきそうな気がします。