おもてなし

  真冬の北陸でカニ料理を存分に味わいたいと思い、どうせなら以前から一度は行ってみたかった石川県和倉温泉の加賀屋に、妻とともに旅してきました。「おもてなし日本一」として有名な旅館を体験してきた、その報告です。
  横浜〜東京〜(上越新幹線)〜越後湯沢〜(北陸本線)〜金沢〜(七尾線)〜和倉温泉と、新幹線と在来線の特急を乗り継ぐ鉄道の旅。大半は雪景色を想定していたのですが、越後湯沢とその先しばらく続く山間地域を除いて深い雪はなく、日本海側は金沢や能登半島も全然雪がなかったのはやや意外でした。
※越後湯沢の雪景色
  金沢は、妻は以前に娘と旅をし、私も仲間とオートバイで能登半島一周ツーリングをしたときに行ったことがあるので、今回は列車の乗り換えで降りただけで、観光は省略。そのため、和倉温泉駅に着いたのは正午をやや過ぎた頃でしたが、チェックインにずっと早い時間でも、駅前に旅館の送迎バスが係員のにこやかな笑顔とともに待っていてくれました。他にも相客がいました。
  フロントで荷物を預け、案内マップをもらってから、和倉温泉街の散策に出ました。蕎麦屋で昼食を済ませてから向かったのが、妻が行きたがっていたパティシェ辻口氏の店。私は全然知らなかったのですが、妻に言わせたら、ここの地元出身のとても有名なパティシェらしいです。美術館と菓子ショップ、そして、そこで買ったケーキを食べながら珈琲を飲む喫茶コーナーがあり、全体がとてもセンスの良い空間となっています。波穏やかな広々とした七尾湾を眺めながら美味しいケーキをいただくひとときは、今回の旅行の幸先の良い序章となりました。
  その後は、風はやや強かったもののあまり寒い陽気ではなかったので、海沿いの公園に行ったり、輪島塗等の土産物店に入ったりして過ごしました。和倉温泉そのものはあまり大きな街ではありませんが、加賀屋のほかにも大きな旅館がいくつかあって賑わっている一方、倒産して?閉鎖されたままの旅館もありました。アベノミクスの効果はまだ地方にまで及んでないのかもしれません。
  加賀屋に戻り正式にチェックインしましたが、ここからは小さな驚きの連続です。着物の仲居さんに案内されて部屋に向かうのですが、広々としたロビーの横を曲がると、左右に館内ショップが続き、しばらく行くと豪華な吹き抜けの空間となっています。エレベーターに乗ると、素通しの窓越しに、加賀友禅の第一人者が織ったという長さ9メートルの大きなタペストリーが見えます。それらや、大浴場の場所や非常口、夜のアトラクション等々について、仲居さんの明瞭で要領の良い説明を聞きながら案内された私たちの部屋に。
  手前の板張りも、その奥の日本間も、窓側の洋間も十分な広さでした。特に日本間は、華美ではないが落ち着いた雰囲気で、床の間の生け花のセンスも良く、片側に松の絵が描かれた黒基調の輪島塗の座卓には、加賀の国に来たという実感がします。外から拭きづらいせいか、海風でやや汚れていたものの、洋間の大きな窓ガラスからは七尾湾が一望です。いつもはユニットバス式の安ホテルに泊まることが多いのですが、ここの洗面室はシンクが横に2台並んで、浴槽も大きなものでした。
 ※客室
 普通の旅館のように予め浴衣や羽織が用意されているということはなく、少しして先ほどの仲居さんが我々にピッタリのサイズのものを持って来ました。これは、フロントから部屋までの案内中に客の体格等をみてピッタリのものを届けるサービスのようです。
  この仲居さんに代わって次にやってきたのが、我々の部屋担当の正式な客室係の仲居さん。まず和菓子と抹茶が出てきたのでそれらしき所作で嗜んだ後、洋間の応接椅子に腰を掛けてくつろいでいると、仲居さんが今度は煎茶を入れて持って来てくれました。夕飯の希望時間や明日の予定なども交えながら雑談をしましたが、これもお客に合わせた接待という面で客室係にとって大切な情報収集のようです。
 夕飯前に大浴場に行きましたが、和倉温泉は、90度近い高温の源泉が一日当たり2,600トンも湧出するということで、何通りもある浴槽のどれにもたっぷりのお湯が溢れていました。時間が早かったせいか、先客が2人いるだけのほぼ独占状態で、露天風呂も含めたいくつかの浴槽を渡り歩きました。洗い場も清潔でした。
  妻も温泉から戻ったところで一緒に1階の売店で第1次のお土産購入。九谷焼や輪島塗等の焼き物や工芸品のほか、地元の和菓子や海産物などを売っていて、時間の経つのも忘れます。部屋に戻ってやや空腹も覚えた頃に夕食の準備が始まり、座卓に白いクロスが掛けられてカニ尽くしの膳がすっかり整ったのが18時過ぎ。それから2時間強、至福の時を過ごしました。
  3年前、兵庫県城崎温泉でもカニ尽くしの膳を囲んだことがありますが、この時はタグ付きの松葉ガニをまるまる1匹バラして、すべて七輪で焼いて食べました。今回は、同じ1匹ながら、茹でたり、焼いたり、鍋に入れたり、最後にカニ飯として出てきたりと、手がかかっています。これに前菜やお造りなども加わって、食べきれないくらいの美味を肴に、地酒の熱燗が進んでいきます。嗚呼、はるばる来た甲斐あり、です。
  食事の最中には、客室係の仲居さんがほどよいタイミングでお給仕をしてくれましたが、この席で加賀屋からのサプライズのサービスがありました。今回旅行の予約を取るときに妻が旅行社の担当者に聞かれて、「結婚記念日の旅行」と答えていたためか、「料理長からのお祝い」ということで、地元の鯛のお造りが舟盛りで運ばれてきました。そしてその後、副支配人が「女将からのお祝い(帰宅して開封したら、九谷焼風の夫婦湯飲みでした)」を持って挨拶に見えました。そしてさらには、加賀屋写真部という方が記念写真の撮影に。
  嬉しいやら照れくさいやらでしたが、泊まり客に喜んでもらおうという「おもてなしの心」が伝わって、感心することしきり。そして、酔いも手伝い、羽毛の布団にくるまって早めに寝て起きた翌朝も、心のこもったおもてなしが続きました。
  起床後はすぐに、妻と共に1階でやっているという「朝市」へ。常設の売店に加え、広い廊下に海産物などを並べた売り場が広がり、雰囲気が出ています。じっくりと見て回った後、孫たちのお家2軒に干物の詰め合わせを送るように手続きをしてから、また部屋に戻りました。7時過ぎ、昨日の仲居さんが、夕飯のときに撮った記念写真を持って朝食の準備にやって来ました。さすがプロの手になる写真。浴衣と羽織姿ですが、シャッター前に身繕いのアドバイスをしてくれていたので、2人とも寛ぎすぎずきちんとした格好で笑顔いっぱいに写っていました。
  朝食後は、普段見ることもないNHKの朝の連続ドラマをテレビで観たりしてゆっくり過ごし、荷物をまとめて9時頃部屋を出ましたが、フロントで精算のとき以降、この旅館のおもてなしの神髄に触れたような出来事がありました。
  というのが、朝食の給仕のとき、仲居さんの「昨晩はよくお休みになれましたか」の問いに、妻が「隣の外国人の方が遅くまで大声を出していたので、少し眠れなかった」と軽く答えたのですが、フロントの若い女性が私に、「昨晩は隣の部屋の方がご迷惑をお掛けしたようで申し訳ありませんでした」と謝るのです。
  そしてその後、送りのマイクロバスが来るまでロビーの椅子に座って待っていると、今度は副支配人が来て、「昨晩は申し訳ありませんでした。外国からのツアーで来ている人たちなので、添乗員によく注意しておきます」と、お詫びされます。
  東南アジアのある国から家族連れも含めた団体客が来ていて、隣の部屋にその一部が入り、大声で話していたらしく、おそらく、憧れの日本の有名旅館に泊まって気持ちがとてもハイになっていたのだと思います。私も夕方頃少しうるさく感じたのですが、まあよくあることだし、私たちの夕飯時にはこの人達は出かけていたのか静かだったので、その後は全く気にならず私はよく眠れていました。ただ、妻の話だと夜遅くからまたこの人達は大声で喋り始めたようで、旅館の従業員にも気がついていた人がいたのかもしれません。
  いずれにしても、客が一言漏らした小さな苦情にも、旅館内の各組織がその情報を即時に共有して対応に当たる体制があり、それらがおもてなしのさらなる向上につながっているようで、一般的な企業や組織の経営面から見ても、そのようなシステムはよく出来ていると思いました。
  感心しながら駅まで送るマイクロバスに他のお客と共に乗り込むと、支配人が乗ってきて挨拶があったり、外で整列して送る仲居さん達の他に、バスにそのまま乗り込んで通路に立つ仲居さんが4、5名います。驚いたことに、この仲居さん達は駅の改札口までではなく、特急の発車時間数分前にはプラットフォームに並んで深々と頭を下げ、発車を見送るのです。
  鉄道と連携してまでの「おもてなし」の追求が、国内はもちろん、先述したアジア等からも含め、多くのお客を呼び込む繁盛につながっているのだと思います。海外旅行派の妻も、「また来たい」と結構気に入った様子。良い旅でした。