旧作3本立て

  首都圏に大雪が降り、突風が吹いて外に出ることができなかった先々週の土曜日、Apple TV(インターネット接続により、大画面テレビでレンタル映画等を楽しめる装置。iPadとも連携している)を通して、旧作の映画を3本もぶっ通しで観ました。観たのは順番に、「連合艦隊司令長官山本五十六(1968年・東宝)」、「二十四の瞳(1954年・松竹)」、「青い山脈(1963年・日活)」。
  適当に選んだのですが、たまたま、先の戦争について国家の立場で主導した側から描いたものと、庶民の側から描いたもの、そしてもう一本は、戦争が終わった後の日本の変化を描いたものという構成です。映画そのものを楽しむ一方、先の戦争の持つ意味合いについて改めて考え、改憲論議など、現在の状況を考える契機ともなりました。
  まず、「山本五十六」では、先の戦争について、国家国民を挙げてそれを望み、突入していったのではなく、軍部の最上層部にもそれを回避するべく懸命の努力をした人たちがいたことが分かります。数次にわたるアメリカ駐在経験等からアメリカの国力をよく知る山本は、米英を敵に回して勝算のない戦争に突入することがないよう、まず日独伊三国同盟の締結への反対を貫き通し、三国同盟の締結後は、日米開戦の阻止に向けて努力をします。
  それにも拘わらず開戦必至の状況に至ると、長引けば勝ち目はないことから、できる限り緒戦で戦果を上げて早期に講和交渉に持ち込めるよう、連合艦隊司令長官として真珠湾の奇襲攻撃はじめ緒戦の数々の作戦を考え、陣頭で指揮をして戦果を上げます。しかし、時の政府や国民の意識は講和ではなく、戦線拡大へ。結局、国力に勝る米英の本格的な反攻の下、ミッドウエー海戦で大敗北を喫し、ガダルカナル島の攻防等、多くの戦線で我が軍の物的、人的な被害が急拡大。このまま、日本は終戦の日まで悲惨な運命をたどることになります。
  映画とは離れますが、山本のように開戦に強く反対しながらも、戦争が始まった後は自らの本務として、あるいは日本国民として、日本の勝利のために懸命な努力をした人は他にも沢山いました。例えば、当時の慶應義塾大学の塾長の小泉信三が、戦死した長男信吉を悼んで書いた 「海軍主計大尉小泉信吉」によれば、信三は信吉が出征するに当たり、「国の存亡を賭して戦う日が来た」として、「よく戦え。君が誕生以来24年の間、人の親として受け得る限りの幸せは既に受けた。決して親孝行をし残したと思ってはならない」と言って送り出したそうです。学徒出陣をする慶応の学生たちにも、「よく戦え」と言って送り出したと伝えられています。「これから戦に行く人間に、この戦争は無意味だとか、やるべきではなかったなどと言うことができようか」という気持ちであったようです。
  これに比し、「二十四の瞳」では、瀬戸内海小豆島の小学校分教場に新任女教師として赴任した大石先生は、出征する教え子たちに「必ず生きて帰ってくるように」と言い聞かせます。昭和の初めに一年生となった12人の教え子たちの上には、昭和の恐慌や満州事変から15年戦争へと続く暗い影が段々と覆い、貧困や病苦、家族離散などに直面する子どもたちが出てきたり、学校現場では「アカ」の教員の摘発などの思想統制が強まった時代でした。
  大石先生は、学校を途中で辞めて奉公に出された子を含め、子どもたちの卒業後も、一人ひとりに寄り添い、一緒に泣いたり励ましたりして支え続けます。この映画を観て教職を志すようになった人が沢山いたということですが、確かに、昔の先生は、教室の中だけでなくもっと深く子どもたちの人生に関わる、聖職ともいうべき存在でした。
  映画のラスト、戦争が終わって岬の分教場に復職した大石先生を囲んで、教え子たちが同窓会を開く場面。男子3名が出征して亡くなり、女子2名が病死と行方不明となって、残り7名が集まります。そして、その席で、生きては帰ったものの戦争に行って負傷し、失明をした磯吉が、かつて1年生の時に松葉杖の先生を囲んでみんなで撮った記念写真を指さしながら、そこに写っている子どもの名前を当てていきます。また、唱歌が得意だったマスノが昔を思い出すように「浜辺の歌」を歌います。私は、なん十年前だったかにこの映画を観たとき、このラストの画面でたくさん泣いた記憶がありますが、今回も溢れる涙をこらえきれませんでした。
  二つの映画は、先の戦争についてそれぞれ違った側面から描いていますが、私にはどちらの映画にも日本人の素晴らしさを強く感じ、清々しい気持ちになりました。「山本五十六」では、海軍兵学校を出た若い士官や、えり抜きの搭乗兵たちが国のために身命を賭して戦い、多くが散っていきます。そして彼らを見送った山本も、前線の搭乗兵たちに「この面を見せて激励してやりたい」と言って長官機で視察に出、暗号を解読して待ち伏せをしていた米軍機の編隊に猛攻され、戦死します。搭乗席で軍刀を握りしめたままの山本を乗せて、長官機は南洋の密林に墜落炎上しますが、見事な散り際であり、部下将兵たちに対する責任の取り方であったといえます。
  また映画から話が逸れますが、前述した小泉信三も息子や教え子を戦争に送り出したその後、米軍による東京空襲によって自宅が炎に包まれたとき、戦死した息子等の幻影を求めて炎の中に踏みとどまろうとして、顔面などに大火傷を負います。また、戦後の東京裁判で文官では唯一人、A級戦犯として処刑された広田弘毅は、外相や首相の在任時に戦争の拡大防止に懸命の努力をしてきたものの軍部に押し切られた結果を踏まえ、「戦争の拡大を防止できなかった責任がある」として、一切の弁明もせずに、従容として絞首台に上がっています。
  司馬遼太郎に言わせると、1930年代頃から日本はおかしくなってきたとのこと。確かに昭和の初期から終戦の日まで、国家主義軍国主義が強まり、泥沼の戦争に入っていった時代の反省は不可欠で、二度と繰り返してはいけないことです。ただ、この時代を生きていた日本人の祖国愛や郷土愛、部下や生徒を思いやる心、潔さ、自己犠牲、見事な死生観などは、現在はあまり見られないだけに心を打たれます。
  3本目に観た「青い山脈」は、一転、終戦後の民主主義など新たな価値観の下、戸惑いや混乱も交えながら、生まれ変わろうとする日本の庶民の意識や暮らしを明るく描いたものです。戦争には負けたのに、国民には大きな希望があった時代です。
  現在、我が国では、中国や韓国の反日感情、日本に批判的な同盟国アメリカという状況の中で、第9条を中心として憲法を改正すべきとするグループと、戦前の日本の歴史をすべて否定したいグループとがありますが、私はこのいずれにも与したくないという気持ちです。
  先の戦争を懸命に戦った多くの人たちの尊い犠牲のもとに戦後の平和が訪れ、たとえGHQの起草になるものにせよ、再び戦争は起こさないという国民の総意が結実した第9条によって長い間の平和と、その結果による繁栄ももたらされたのが我が国です。
  以前、私は「尖閣諸島を巡って日中間に戦争が起きるくらいだったら、尖閣は中国に奪われてもよい」と発言し、友人たちに「そんなことをしたら中国に次は沖縄を取られてしまう」とあきれられたことがあります。しかし尖閣諸島は中国のすぐ近くにある無人島だし、こんな島の争奪で日中が再び戦火を交える愚は絶対に避けた方が良いと確信しています。アメリカもおそらく頼りにならない思います。
  もちろん、国の尊厳は守らなければなりませんが、かつて蒋介石が「暴に報いるに徳を以てなす」としたように、暴を以て対処せず、第9条理念を以て対処したほうが、我が国の徳が上がり、国際世論も味方に付けられるような気がするのですが・・・。戦前の日本で、山本五十六元帥など多くの将兵による国を守るための崇高な戦いがあり、また、大石先生などが示した戦時下のヒューマニズムがあったこととは異なった、絶対的非戦の下での国家なり国民の崇高な姿勢を示す。このことこそが、先の戦争での多くの将兵や銃後の国民の犠牲を無にせず、戦争の真摯な反省にもつながることではないでしょうか。
  3本の映画のテーマに関連した感想はともかく、出演した俳優など、映画そのものについて。山本五十六を演じた三船敏郎は最高でした。実物の山本五十六元帥は小柄だったそうですが、海軍大将の白い制服を着た三船敏郎のカッコ良かったこと。この役にはこの俳優をおいてないと思いました。
  大石先生の高峰秀子は、昭和の時代の日本女性の象徴的な容貌、体型の美人です。同時期の女優の原節子のややバタ臭い容貌よりも日本人には馴染みやすく、大石先生役にピッタリでした。なお、この映画では、12人の子役について、小学1年生のときと6年生のときを撮影するために、顔立ちの似ている兄弟姉妹12組を公募し、選んだとのこと。とても力が入っていると思いました。
 「青い山脈」は、原節子池部良主演のものが有名ですが、私が今回観たのは、吉永小百合浜田光夫のもの。日活映画らしい軽いタッチで、吉永小百合もまだ18歳という若さであったためか、全くの娯楽作品として気楽に見ることができました。沼田先生役をやった二谷英明が良い味を出していました。
  映画って、本当にいいもんですね・・・。