帰省

  亡母の七回忌法要を郷里で営むため、先週末に妻とともに福岡に帰省しました。土曜日は、あいにくの大雪のため、私たちが乗る便の前の飛行機は全て欠航。私たちが乗る午後一番の便は出るのかどうかが未定のままだったので、一か八か、とりあえず羽田空港までは行ってみることにしました。膝までの雪に埋もれながら駅まで歩き、辛うじて動いていた電車に乗ってやっと空港にたどり着くと、遅延しながらも飛行機は無事に離陸。ラッキーでした。
  福岡空港に着いてバタバタとタクシーに乗り込み、お寺に着くと、定刻は過ぎていましたがお坊様はじめ、親戚一同の皆さんが開会を待っていてくれて、なんとか主催者の責任を果たすことができました。結局、首都圏から参列したのは、前日から行っていた息子一家と我々のみ。娘一家や甥、姪たちは飛行機が欠航だったり、空港までの足がなかったりで不参加となってしまいました。
  法要の後はホテルに荷物を置いて、夕刻から料亭で会食。博多名物、ふぐ会席に舌鼓を打ちました。子どもでたった一人の参加となったLちゃんは、初めてのお寺にやや驚いたようでしたが、お経の間はママの胸でおとなしく過ごし、お焼香はママと一緒にしてお参り。会食の席では初めて会った親戚のおじさん、おばさんたちにも可愛がられて、元気いっぱいに過ごしました。
  翌朝は、息子一家を連れて市営霊園にある我が家のお墓参り。母の一周忌と三回忌は東京で行ったため、息子が一家で福岡にある我が家の菩提寺とお墓に参ったのは今回が初めてです。みんなで掃除をし、お水とお花をあげてお線香をくべ、Lちゃんも小さな手を合わせてお参りをしてくれました。この霊園は、䖝に囲まれて、遠く博多湾も一望できる高台にありますが、親子、孫3代が揃い、ここで過ごした穏やかなひとときは良い想い出となりました。
  墓参の後は、午後の飛行機の時間まで福岡市内の見物をしたいという息子一家と別れ、我々夫婦は西鉄電車に乗って久留米市にある石橋美術館まで足を伸ばしました。以前から一度は行ってみたいと思っていたところですが、とても良いところでした。石橋文化センターとして、いくつかの大きな建物や庭園が広大な敷地内に点在していますが、その中でも、石橋美術館本館と別館は煉瓦タイル張りの特に立派な建物。

  本館に入り順路に沿って各展示室を廻りましたが、展示されている絵画は、なんとなく心がなごみ、なつかしさを感じるものばかりです。そのような感覚を得る理由の一つは、中学生や高校生時代に教科書で見たことがあるような絵画が多いことにあると、まず気がつきました。青木繁の「海の幸」(漁師達が大きな魚を担いで歩く絵)や、坂本繁二郎の「放牧三馬」等の馬の絵、藤島武二の「天平の面影」などです。黒田清輝梅原龍三郎荻須高徳小磯良平安井曽太郎藤田嗣治岸田劉生、等々、明治から昭和にかけて我が国洋画壇で活躍した有名な画家達の絵がたくさん展示されていて、この美術館のコレクションの豊富さは驚くばかりです。
  なつかしさを感じた2番目の理由は、郷里、福岡県にある美術館としての親しみです。この美術館を寄贈したのはブリジストンタイヤを創業した石橋正二郎氏ですが、同氏は久留米出身で、その縁で、当初は郷里出身の青木繁坂本繁二郎の絵の収集から始まったそうですが、同じ久留米出身の古賀春江の絵もあります。筑後地方の風景を背景とした絵も数点展示されています。各展示室での作品鑑賞を終わる頃、ふと私は、昨年暮れに90歳で亡くなった義理の伯母のことを想い出しました。
  私の父の兄に嫁いで東京で暮らしていた伯母は久留米出身ですが、生涯を絵画を趣味として過ごし、公募の美術展で再々入賞、銀座で個展も開いていました。私の孫も描いてもらいましたが、親戚に赤ちゃんが誕生するとその子を描いてプレゼントし、静物画では薔薇の花を描くのが好きで、写真が趣味の私に薔薇の写真を所望したり、国内や海外にスケッチ旅行によく出かけていました。
  いま我が家には、伯母がドイツ旅行の後に描いた「ローデンブルグの風景」の大作や、その他の小品を飾っていますが、それら伯母の作品の趣きが、まさに各展示室の絵とよく似通っているのです。美術館の創立は1956(昭和31)年とのことなので、伯母も実家に里帰りした折りなどに何度もこの美術館に訪れていたのかもしれません。
  大学入学で上京して以来、結婚するまで、私は父の指示により毎月1回、伯父の家に顔を出していましたが、伯母は料理も得意で、伺うたびに美味しい食事にありつけたものでした。それらのことを想い出しながら石橋美術館で半日を過ごし、福岡帰省の折には、また来館したいと誓った次第です。
  久しぶりに郷里に帰省し、息子一家にも福岡の良さを味わってもらい、私自身の郷愁も十分に満たされて、大雪の中の出発でしたが、意義深い旅行となりました。