ソチオリンピック

  妙に馬が合うという人がいるものです。といって、先方は有名人であり、外国人であって、一度もお会いしたことはないのですが・・・。その人の名前はマイク・モラスキーさん。57歳の米国人ですが日本在住歴20年を超える日本文化研究者で、早稲田大学の教授等でもあるそうです。この方が、最近の日経新聞夕刊の「プロムナード」という欄に週一回軽い文章を書いているのですが、毎回、とても面白く、我が意を得たりという内容ばかりで、うれしくなります。
  日本の居酒屋、それも今風のチェーン店ではなく路地裏に昔からあるような店が好き、将棋が好き、外国旅行は億劫で国内の静かな温泉にでも行くほうが好き等々、私と嗜好がとてもよく似ています。以下は、最近載った同氏のいくつかの文章の要旨の紹介です。タイトルは私が勝手に付けています。
○日本人のカメラ好きについて
  「昔は写真は専門家にとってもらう貴重なもので、家族の記念写真など、みなかしこまって写っていた。ところが現代は、デジカメやケータイで猫も杓子もパチパチとどうでもよい記録を撮りまくっている。外食で運ばれてきた料理に箸を付ける前に撮ってブログで自慢したり、海外旅行に出かける際、現地ならともかく、日本の空港に向かうときから空港出発ロビーの電子表示板等々まで記録しないと気が済まない。そして旅先では、自分の入った証拠写真を”ピース”とか”チーズ"とかポーズを繰り返しながら撮ってもらっている。こんな様子を見ているだけでくたびれる」「最近、私は、カメラを向けられると笑う気が湧かず、にらみ返している」
  ・・・・・確かに近年はこのような状況が一般的になりましたが、言われてみれば、このように何でもパチパチと記録に残すことがむしろ記録の価値を下げて、想い出の質も低下させているのかもしれません。
○「走る化粧室」(新聞のタイトルのとおり)
  「中央線に乗っていて、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。というのは、すぐ隣に座っていた二十代の女性がバッグを開け、化粧品を次々と取りだし、そして本格的にメークにかかったからである。もちろん、以前にも車内でちょっとメークをやり直す女性の姿は見たことがあるが、離れて座っていたし、そんなに長続きしなかったが、今回は匂いがぷんぷんと鼻に着くし、しかも延々と続いたから呆(あき)れてしまった。内心、”俺がひげそりでもして、見せてやろうか”と一言いじわるも投げかけたくなったが、何とかこらえられた。
  彼女は、まさに異文化の感覚の持ち主だといえる。いわば公的な場所に私的な行為を無理やり持ち込んでいるように感じられ、私も電車のなかでちょっとした海外旅行してきた気分だった。ただし、愉快な旅ではなかったし、電車を降りたら急に一風呂を浴びたくなった」
  ・・・・・10年前くらいに出版された「ケータイを持ったサル」(中公新書)によれば、我が国で100万人以上にのぼる「ひきこもり」と言われる若者も、家の外には出るが、電車の中でも平気で化粧をしたり、ケータイで話したり、地べたに座ったりするような若者も、いずれも親の過保護の元に自我の芽生えがないままに育ったことに原因があるそうです。
  自己実現をするためには家の外に出て行かなければならないが、そこには様々な挫折があり、それに思うように対応できずに自分に否定的な態度になるとひきこもりに向かい、反対に、思い通りにならなくても非が自分にあるのではないと開き直ると、「家の外」まで「家の中」と同じようにみなすようになって、公衆の面前でも平気で自分本位の行動をする、ということのようです。 独立自尊の気風の強いアメリカで育った同氏には、ひきこもりやパラサイトシングル、行儀の悪い若者など、日本の現状が我々以上に心配なことでしょう。
日本食ユネスコ無形文化遺産への登録について
  「世界文化遺産の富士山に次いで、今度は日本食ユネスコ無形文化遺産に選ばれた。それは結構なことだが、あれもこれも指定してもらおうと熱心になることは、ややみっともないようにも思う。富士山にせよ、日本食にせよ、その価値を疑っているわけではけっしてないが、ただ、外国の権威ある組織に認められたからと言って、騒ぐのはちょっと恥ずかしい。世界遺産を重んじることは、一種の”ブランド志向”にすぎないのではないか。
  日本の料理屋がミシュランに載ったからと言って、ちやほやされるのも同じだろう。ミシュランとは逆の状況を考えてみたらよいであろう。すなわち、日本人の(日本食)通の集団がフランスを回り、フレンチレストランを格付けしたら、フランス人は突然その店を持てはやすだろうか。おそらく”ふむ、日本人はそういう風に我が国の料理を見ているのか”という面白半分で流すことになろう。
  自国の文化に対して自信過剰になると、それこそ文化ナショナリズム(少なくともスノビズム)に陥りかねないが、自信をつけるためにいちいち欧米諸国に認められたがるのも、欧米の文化的優位性を黙認していることに等しい。そもそも、文化には優位性はないはずである」
 ・・・・・同氏が述べるとおり、日本人は「お墨付き」を欲しがり過ぎる国民のような気がします。もっと自国の歴史や文化、景観等に自信を持って、世界遺産登録やミシュラン登載に振り回されない泰然とした態度が必要ということでしょう。韓国のキムチも無形文化遺産に登録されています。
ソチオリンピック
  「冬のオリンピックに関して、日米両国がよく報道するのはフィギュアスケートのようだ。男女を問わず、選手たちの卓越した体力、バランス、そして高度な技能には感心できるが、どうしてもあの大げさなそぶり、それにチャラチャラした衣装にはとてもついていけない。”宝塚やっているんじゃないから、もう少し地味な演技を見せてくれよ”と言いたくもなる。
  もうひとつ気になる種目は、カーリング。たとえばゲートボールも楽しいし、上手(うま)い人は技能が相当に要されるが、だからと言ってオリンピック競技にすべきだと考える人はどのくらいいるのだろうか。カーリングのファンおよび選手たちに誠に申し訳ないが、私の眼には、いわばお掃除をオリンピック種目に昇格させたようにしか映らない。失敬!」

  ・・・・・オリンピックは「国別対抗の運動会」に成り下がったと言う人もいますが、それでも、人が鳥のように滑空するスキージャンプや、空中高く舞い上がるスノボーハーフパイプで日本人選手がメダルを獲得したときには私も興奮したものです。卓越した運動能力と度胸がなければとてもこんな荒技はできません。
  これに比べフィギュアスケートは、高度な技術と芸術性が必要な競技ではありますが、上に同氏が述べたとおりの感想を私も持っています。女子選手はともかく、金メダルを取った羽生選手はもう少し男っぽい衣装で滑れなかったのでしょうか。あのヒラヒラの付いた白いブラウス、ネックレス、なん重にも巻いたブレスレッドなど、女性でも派手すぎるくらいです。
  カーリング=掃除説には、私も全く同感です。

  なお、余談ですが、浅田真央選手がショートプログラムで失敗したことに関し、森元首相が「あの子は大事なときに必ず転ぶ」と評してバッシングに遭っています。まあ、関連したポストにある人が、公の場で発言するコメントとしては配慮に欠けていたと思いますが、あの時点では、国民の多くが森氏と同じような気持ちを抱いていたのではないでしょうか。国民のみんなが真央ちゃんのことが大好きで、懸命に応援していただけに、肝心なときに何度も転んで心底がっかりしたのは間違いありません。
  それよりも私は、浅田選手が帰国後の記者会見で、「森さんはああいうことを言って、後悔しているんじゃないかと思います」というような発言をしているのを聞いて、元総理大臣を務めた年長者に対する発言としてはやや不適切ではないかと感じました。「ああいうことを仰って」とか、「後悔しておられるのではないか」と言って欲しかったところですし、むしろ、「転んでしまってごめんなさい。アハハ」とでも笑っていた方が、真央ちゃん株もさらに上がっていたと思います。