風景の中で

  先週の木曜日にYちゃんの幼稚園の卒園式がありました。あいにくの雨の日だったし、どんな様子の式だったかを知りたかったので、夜、テレビ電話を入れたらYちゃんが出てきて、「ママとKちゃんだけ来た。パパは来なかった」「Yもお友達も、たくさん泣いた」と、元気いっぱいの報告です。パパも出席すると言っていましたが、仕事の都合がつかなかったようです。幼稚園の卒園式なのに、Yちゃんもお友達もいっぱい泣いたというところに、子ども同士や先生達との間に特別に濃い人間関係が育つ、この幼稚園の特徴が表われています。 
  この幼稚園は、学校教育法に基づく幼稚園ではなく、非常にユニークなカリキュラムを持ち、毎日を戸外学習で過ごす、別名「遠足幼稚園」と言われています。2歳から6歳までが在籍し、障害を持つ子どもも入っているという、縦割り、統合教育を実践しています。とにかく、雨の日も風の日も、真夏の暑い日も、厳しい冬の日も、戸外の公園などに出向いてそこで遊び、自然と親しむことによって、身体を鍛え、頑張る心を養い、さまざまな発達を促すとのこと。
  娘一家の家から近いところに本部があり、娘は地元のお友達から強く誘われたようですが、Yちゃんがまだ2歳の時にここに入れたときには、私はまあ1年間ならよいかと思っていました。しかし、さらにその翌年、ひと駅隣の大学付属の幼稚園の受験に折角受かったのに、直前にそちらをキャンセルまでしてこの幼稚園に本入園をさせたときには、正直、とても反対しました。きちんとした国の指導要領に沿った幼稚園でなければ、総合的な教育の面で十分かどうか心配でしたし、なにより、どんな天候の日でも外で過ごさなければならないというのが、可哀想でなりませんでした。
  しかし、結論から言えば現在は、Yちゃんがこの幼稚園で過ごした4年間を高く評価しています。他の幼稚園よりも時間が少ないと思われる知育の面でも、読み書き算数などはよその子並みにできていますし、お絵描きは対外的なコンクールで2回入賞したり、工作も得意のほうです。毎年大きな会館を借りて行っている、この幼稚園の全児が出演するオペレッタの発表会を私も一度観に行ったことがありますが、とても本格的なものでした。その他、正式な茶道のお点前を楽しむ会があったり、戸外以外でもたくさんのことを学んでいたようです。
  そしてなにより、遠足幼稚園の成果が最もよく出たのが、子どもたちみんなにとても体力がついたことです。毎日、公園などに歩いて行ってそこでたくさん活動をし、月に一回は高尾山に麓から登り、毎年、南アルプスでの本格登山もしていたようですが、昨年夏の卒業登山では、それぞれ2,500メートルを超える標高の編笠山権現岳の2峰を年長児全員で無事、登ってきました。
 権現岳(左)と網笠山(右)  ※ウイキペディアから借用  
  長田弘という詩人のエッセー集「なつかしい時間」(岩波新書)を最近読みましたが、この本のキーワードの一つは「風景」です。「人々の記憶は風景とともにあり、遠くを見やることが心の広がりをもたらして詩や物語が書かれる」「毎日、戸外に出かけていった一人の子どもがいた。その日中、子どもがじっと見つめたものは、その子どもの一部となっていった」などの表現があります。「外では手にケータイを持って小さな画面を凝視し、部屋ではパソコンの画面を見据えて動かない。遠くを見ることがなくなった毎日が、日々の視野を狭めて、目先にとらわれる性向を社会にますます強めている」とも。
  卒業登山から帰って来たYちゃんからの聞き取りを基にした娘の記録では、Yちゃん達は霧のなか、岩がごつごつした難しい場所を先生に注意されながら一生懸命に登って権現岳の山頂にやっと着くと、雲の間から遠くの山々がくっきりと眺められたそうです。そして、みんなで「ヤッホー」と叫んだらこだまが「ヤッホー」と返ってき、下山途中には、先生の声にみんな一斉に振り向くと、ふもとの町の上に大きな虹がかかっていたそうです。その後、この虹がきれいだった話は、私もYちゃんから何度も聞かされました。まさに、遠足幼稚園の子ども達は、困難を一緒に乗り越えて、素晴らしい風景の中で感動をともにしてきたといえます。
  Yちゃんがテレビ電話に写して私たちに見せてくれた、先生手書きの卒業証書には、Yちゃんが毎日小さな子の手を引いて活動に参加したことも書いてありました。年長児が年少児の手を引き面倒を見ることが代々繰り返されていくこの幼稚園では、自分よりも幼い子や障害を持った子と交流し、支え合うことがごく自然に行われていますが、このこともとても大切なことです。
  この幼稚園で過ごした4年間に出会った、街並みや大自然、人々などすべてが、「風景」としてYちゃんの心に残り、これからの人生にも役立っていってくれると信じています。