大相撲

 今年の春場所大関鶴竜の優勝、横綱昇進確定の結果に終わりましたが、私にとってこの場所は、元大関琴欧洲の引退の場所としていつまでも記憶に残ることと思います。潔い引退でした。
  縁あって琴欧洲関の後援会に入会して約6年。東京での開催場所前に持たれる励ます会や結婚式に出席したり、仕事関連で行事に出席をいただいたりなど、何度となくお会いして「気は優しくて力持ち」のお相撲さん振りに心底惚れ込んでいました。あるときの、いつもよりはやや少ない出席者での励ます会の冒頭、後援会長が、「今日ご出席の皆さんは、琴欧洲のファンというよりも信者のような方々です」と挨拶をされたその時にも居合わせていました。
  「大相撲は外国人ばかりが強くてつまらない」という人も結構多く、実はずっと以前の私もそうでした。特に、モンゴルから来た少々行儀が悪い横綱がいた頃には、大相撲はどうなっていくのだろうと心配したものです。しかし、琴欧洲関と知り合って、大相撲という日本の国技を守っていくのに、日本人も外国人もない。土俵上も、日常生活も、しっかりと日本古来からの伝統や文化を守っていってくれる男たちがいることこそが素晴らしいことではないかと思うようになりました。
  柔道も日本由来のスポーツですが、ずっと前からカラー柔道着ができたり、畳ではなく、レスリングのようなマット上で戦ったり、体重別の競技になるなど、すっかり様変わりをしています。柔道が形も内容も外国仕様に変えながら「国際化」していったとすれば、大相撲は、形も内容も日本古来の伝統や文化に根付いたまま、外国人も一緒にそれを支えていってくれており、こちらのほうこそが真の国際化ではないかと思います。そして私は、この国際化した大相撲の世界で必要な改革を行ったり、支えていく一員として、琴欧洲関が関わってくれないかという希望を持っています。
  「琴欧洲は気が優しすぎて勝てないのではないか」という人も結構いました。あるときの励ます会で、あるご婦人が琴欧洲関に向かって、「もっと朝青龍関のようにガッツを出して勝負をしてください」というようなことを言われたとき、思わず私は、「いや、大相撲は格闘技ではないのだから、土俵上の態度も大切です。勝つためならばどんな態度を取ってもよいというものではない」と異議を唱えた思い出があります。
  大相撲の世界では、「惻隠の情」とでもいうべき敗者に対する思いやりの心構えが力士たちに求められていて、負けて土俵下に落ちた相手には手を差し伸べて助け起こしたり、勝ち力士インタビューでは負けた相手を気遣って控えめに話すなどの作法がしっかりと守られてきました。しかしこの横綱は、土俵上でガッツポーズをしたり、土俵を割った相手をさらに突き倒したりして批判を浴びたことがありました。
  大相撲は本来、様式美というか、力士が土俵に上がってから勝負が終わるまでの間にも一定の形があり、所作の美しさがあるはずですが、近年はそれらがだいぶん乱れてきている気がします。最近の土俵を見ていても、いずれも制限時間いっぱいになったときですが、白鵬の紅潮した顔や威嚇するような目つきはまだ許容内としても、日馬富士の土俵に額をくっつけるほど這いつくばった仕切りや、琴奨菊の背中を大きく後ろにのけぞらせる仕草、稀勢の里の立ち合い時の注文の多さなどは、あまり感心できない所作です。全体に、規律がゆるんでいるような気がするのは私だけでしょうか。
  この点、琴欧洲関の土俵態度は、終始さわやかで美しく、大相撲精神に沿ったものであり続けました。ジュニアレスリングのヨーロッパチャンピオンであった経歴等からいうと、スポーツマンシップや、騎士道精神とも言っていいかもしれません。土俵を降りた私的な場面では、いつも穏やかに微笑み、誰とでも気さくに話をする好青年でした。

  引退会見で、琴欧洲関は多くの人への感謝の言葉を口にし、「頑張ってきたので悔いはない。相撲はすべて自分の人生です。今までも、これからも」という言葉を残しました。本当に大相撲を愛していたようです。当分は、大関経験者には3年間許される部屋付き年寄りになって後進の指導に当たり、その後は親方株を取得して自分の部屋を持つという方向になるのでしょうが、私は、琴欧洲関には、強い弟子を育てるだけでなく、いずれ日本相撲協会の役員になってもらいたいと願っています。
  日本国籍を取得して、名実ともに日本人になったのですから、前述したように、日本の国技の大相撲、特に国際化した大相撲をこれからも発展させるための改革を行う役割をぜひ担ってもらいたいと希望します。そのための最適任者の一人であることは間違いありませんから。