給食

  桜満開の週末でしたが、我が家ではいよいよ週明けから孫のYちゃんが小学校入学、Lちゃんが幼稚園入園となります。で、2人やそれぞれのママの毎日に大きな変化が生じることの一つが、通学、通園する小学校、幼稚園とも、給食があること。これまでYちゃんの通った幼稚園、Lちゃんが通った保育室(幼稚園付属のもので、ここに通っていると幼稚園に優先入園)とも毎日お弁当が必要で、それぞれのママはそれを作るのが大変だったことと思います。
  これからはママたちも少し楽になり、子どもたちもお友達と一緒に楽しい給食の時間を過ごすことになるのだろうと微笑ましく思っています。ただ、その一方で、私の年代では最近の給食事情を直接には知らないので新聞報道等による印象にしか過ぎないのですが、給食には手放しで任せておけない懸念が若干あるように感じています。
  まず、全員で同じところで調理された同じものを食べるという点で、数ヶ月前に浜松市内のいくつかの小学校で学校給食のパンによる集団ノロ感染事故が起きましたが、そのような食中毒事故や、一律の食材使用によるアレルギー事故が都下の小学校でも発生し死亡児童も出ていますが、集団給食にはそのような事故の不安があります。
  また、最近は各学校等単位での調理ではなく給食センター方式のところが多いようですが、そこでの食材の調達先はどうなっているのか。給食センター自治体の直営ではなく入札等により業者を選定して委託しているところが多いのでしょうが、その業者が安く請け負うために中国産の冷凍野菜などを使っていないか。学区域内の八百屋さんや肉屋さん等から仕入れるといった、目に見える形がなくなっているだけに気がかりです。給食センター方式のシステムの中で、地産地消はどのくらい進んでいるのでしょうか。
  学校等の給食は教育の場で行われている以上、食育という位置づけもあるはずですが、かつて「犬食い」スタイルをする子どもたちが増えてきたという批判のもととなった、いくつかに区分されたプラスティック製の皿一枚に主菜も副菜も盛りつけ、それを先割れスプーン一本で食べるといったことが現在も行われているのではないかという心配もあります。洋風の献立は何枚かの皿に盛ってフォークとスプーンを使って食べ、和食はお椀等を手に持って箸を使って食べるという、それぞれの食文化を大切にした食事マナーを学校等、教育の場でこそ率先して大事にしていくべきであると思います。

  箸を使うことに関しては、亡き筑紫哲也さんが「スローフード」を薦める本の中で、ある著名な外国人音楽家が「楽器演奏や工芸品の制作等に見る日本人の手先の器用さは、日本人が箸を使い続けていることによってもたらされている」と言ったことを紹介しています。筑紫氏は、同じ箸を使う民族でも、中国人等と違って日本人は箸を棒のように使うのではなく、二本の指の間に中指を挟むことで微妙な箸使いを編み出した、このような手先の器用さが物づくりにおける日本人の優位性を保ってきた、と言っています。
  可笑しかったのはこの本の中で筑紫氏が、「先割れスプーン」の横行から「箸の文化」を守り、味覚を形成する大切な時期に「画一性」を課することに異議を唱えるために、学校給食批判を展開したことに対し、「お前は母親に弁当を作れと言って、女性たちを家庭に閉じ込めたいのか」といった反論も噴出して、四面楚歌に陥ったというくだりです。スローフードも今の時代ではなかなか難しい面があるようです。
  さらに可笑しいというよりも笑えない問題と感じたのは、筑紫氏が画一的な給食よりも各家庭の個性(「おふくろの味」)が反映される弁当の方がよいという論の前提が、現在はほぼ消失しているということ。コンビニやレトルト・冷凍食品の普及、デパ地下の隆盛など、各家庭の食事の内容と形が変わり、栄養バランスも崩れてきたために、学校等の給食の方がよほどましな状態になってきたということです。子どもの弁当にスーパーで買った冷凍食材を「チン」して入れるだけであれば、煮炊きをする給食の方がまだましかもしれません。
  回顧談ですが、私は学校給食は小学校時代しか経験していませんが、昭和20年代後半のそれは、ララ物資としてアメリカから日本に運ばれてきた「脱脂粉乳」のミルクの不味さや、予算不足か食肉不足か、豚の表皮のところばかりを使った豚汁の気味悪さ等はあったものの、たまに出る「ぜんざい」等は美味しくてお代わりをしていました。お椀やお皿はアルマイト製であったような気がします。日本が復興に向かう中で、子どもたちに最低限必要な栄養を摂取させる役割が大きかったのでしょうが、みんなと一緒に同じものを食べる等の習慣の中で、民主主義や平等主義の基礎を教える一面もあったのかもしれません。
  いずれにしても、心身の基礎をつくる一番大切な時期の「食」の問題は、その文化である側面も含めとても重要です。家庭での食や食育を大切にするとともに、学校等の給食もしっかりと見守って、集団給食においてでなければ得られないメリットを最大限に生かした食や食育の実現を求めていくことも、親として忘れてはならない責務であると思います。