花の下にて

  3月下旬に、遠い姻戚の方が86歳で亡くなられました。3年前に奥さんに先立たれた後も元気に一人暮らしを続け、亡くなる前日も定期的な健康診断で病院に行って検査し、数値が良くなっていたとのこと。ところがその翌日、近くに住む娘さんが電話を入れても応答がないので気になって家まで行ったところ、庭の手入れをしていたらしく、梅の木の下でうずくまって亡くなっておられたそうです。ずっと以前の心臓病が原因でした。 
  このような状況であったために、警察の検死が入ったり、誰も看取る人がいなかったのは大変お気の毒でしたが、親戚間で連絡を取り合う中で、「幸せな最期であったかもしれない」という感想を述べる人がおり、私もそう思いました。
  8百年以上も前、西行法師の辞世の歌に「願わくば花の下にて春死なん その望月の如月の頃」とあり、西行法師は実際その通りに亡くなったそうです。ここでいう「花」は桜のことだというのが通説ですが、梅の花という人もいます。どちらにせよ、梅の木の手入れをしながら亡くなられたというのはこの歌を思い出させて、ある意味、理想的な最期の一例に近いものがあります。
  また、現代的な事情からいえば、家族に介護の苦労をかけないで済んだという一面もあります。残された子や孫たちには、故人の元気であった姿だけが思い出として残るわけで、これは、今を生きる高年者世代の誰もが望むものではあっても、なかなかその通りにいかない現実があり、その意味でも故人は幸せといえます。
  私も、いずれ自分の最期について思案をするときがやってくるのでしょうが、昔、映画を観ていて、これが自分向きの最期かなと思った場面があります。それは、確か五木寛之さんの小説「青春の門」を映画化したものであったと思うのですが、筑豊のやくざの親分がガンか何かの病気で臥せっていて、あるとき布団の上にガバッと起き上がり、女性に冷や酒を持ってこさせます。そして湯飲みになみなみと入ったその一杯を、「く、く、く」と、なんともいえない表情を浮かべて飲み干し、「うめー」と一言発して、そのまま布団に倒れ、絶命しました。
  可愛い孫たちができた今は、まさかこのようなことはできませんが、理想の最期には、いろいろなパターンがあってよいような気がします。