主役交代

  主役交代といっても、サッカーW杯ブラジル大会の予選で惨敗し、監督交代が必至となった日本チームの話ではなく、昨日の日経新聞朝刊のコラム「大機小機」に載っていた、正式には「主役の犠牲で社会は進む」というタイトルの記事で得た私の感想です。このコラムは、日経の記者ではなく、社外の各界の人が匿名で書いているようですが、結構面白いときがあり、今回のもそうでした。
  筆者は、少子高齢化が進み、高齢者比率が増加の一途をたどる日本での年金問題を取り上げ、日本の財政破綻への抜本的な対策のためには、年金の給付額の調整(継続的な減額)や、受給開始年齢の70歳や75歳までの引き上げが急務としています。そして、主張を次のような言葉でまとめていますが、ユニークであり、なるほどと思った次第です。
  いわく、「時代が次のステージに進むとき、それまでの主役が犠牲になるのは常だ。幕末から明治の改革期には武士が犠牲になった。敗戦後の新生日本では戦前のエリートや高級官僚が犠牲になった。平成も四半世紀を経過した今回はどうだろうか。
  社会保障、とくに年金改革の断行にあたって、戦後の高度経済成長を支えた主役達、つまり今の中高年富裕層が身を削ることは避けて通れない。過去の主役を乗り越え社会は前進する。愛国心が強いと自負する、中高年の覚悟が問われることになるだろう」
  少子高齢化の急速な進展と人口減少という構造的な変化に直面している現在の日本は、平時ではありますが、明治維新や敗戦時と匹敵するくらいの大変革をしていかないと、財政破綻を回避したり、世代間の公平を保っていくことは困難ということでしょう。
  筆者は、「中高年富裕層が身を削れ」と言っていますが、私は、現在の社会保障制度の中で特に負担の割に受益の大きい高齢者世代は、富裕層に限らず、我々のような庶民も含めてもう少し身を削る必要があると思っています。まだ働けるのに悠々自適を決め込んで、年金生活で趣味三昧に明け暮れている人があまりに多い。若い人たちの職場を奪うというのではなく、日本の労働力不足を下支えしたり、ボランティアなど、何らかの社会貢献を心がけるべきだと思います。年金を多少削られて収入が少なくなっても、昭和30年代や40年代の生活レベルに戻ったと考えれば大したことはないし、精神的にはもっと豊かになるかもしれません。
  なお、筆者は「愛国心があるなら」というような言い方をしていますが、私に限っていえば、愛国心というよりも、子どもや孫の世代のためにという思いです。3人の孫を含む今の子どもたちが大人になったときに、日本が財政破綻をしておらず、社会保障制度の恩恵も一定レベルはあるという社会を残しておきたい気持ちでいっぱいです。
  誰だって収入が減少したり負担が増加することは辛いし大変であるため、年金減額や医療費自己負担の増加といったことには高齢者の反発が強く、選挙の際に各政党とも反発を招くようなことは言わないので、これまで改革は進んできませんでした。しかし、今回のコラムのような意見も真剣に受け止める人たちはだんだんと増えてくるのではないでしょうか。高齢者が自分たちのことだけを考える時代は過ぎたと思います。
  高齢者世代がもう少し身を削るだけでなく、社会保障制度には、膨張する医療費の問題など、抜本的な改革が必要ですが、その改革と併せ、国会や地方議会も含めた行政改革も急がなければ国民の納得は得られません。そのようにして財政赤字の解消を進める一方、社会の各分野での思い切った規制改革や成長戦略による経済の活性化を同時に進める必要があることはもちろんです。
  年金減額に備えて、どのような支出を削ろうか考えてみました。私の場合は、やはりアルコール関係のようです。量や回数を減らせば、お金は浮くし、いつも頭はクリヤー?で体調は良く?医療費削減にもつながりそうです。孫のためなら我慢も出来る?