伝統話芸

  私も含め世の中の大半の人は、普通の「サラリーマン」の経験しかないので、腕一本で生きる大工や庭師などの仕事っぷりや、芸術家や芸能人の卓越した才能に接して、いたく感動を覚えたり、尊敬の念を抱くことがあるものです。先日、元の職場の後輩H君が自分の住まいのある地域(千葉県内)で仲間と共に続けている地域寄席に久しぶりに行ってきたときの、女流落語家の芸がまさにそのような感動を覚えさせるものでした。
  今年で満12年目、落語会が50回、講談会が8回開催されたこの地域寄席の良いところは、とても身近に真打ちや二つ目の噺家や講談師の本格的な話芸を楽しむことができることです。節目の記念の回には市民ホールで開催されますが、通常は、ある居酒屋の畳の部屋に高座を設け、その前に観客が座って行われます。30人も入ればいっぱいという狭さなので、マイクなど使いませんし、出演者と観客が膝をつき合わせているようなナマの迫力があります。終了後は毎回、その居酒屋で出演者を囲んでの懇親会があります。
  毎回、事前に案内をもらうし、行けば楽しいので、私も都合が付く限り出かけているのですが、この日は半年ぶりくらいの参加でした。この日も、いつものように席亭のH君の挨拶からの幕開け。彼は、若い頃から寄席に通い詰め、落語関係の著書も出版していて、その経験や知識を生かしての、その日の噺家や演目についての解説はとても参考になります。穏やかな語り口でユーモアも交え、いつもながら味わいがあります。
  ちなみに、H君のもう一つの顔は、算数研究家。特に江戸時代の関孝和など、和算について研究していますが、円周率を何万桁までもパソコンで出したりもしています。30年ほど昔、一部のマニアがベーシック言語を使ってパソコンであれこれ行っていた頃、彼はパソコンで円周率計算をし、コンマ2千何桁を出したと言って喜んでいました。NEC98から始まった私のパソコン趣味の初期の先生はH君です。
  さて、彼の解説の後、CDのお囃子に乗ってこの日の高座に上がったのは、最初が二つ目の立川吉幸さんで、次が女流で真打ちの川柳(かわやなぎ)つくし師匠。どちらもまだ40歳代前半の若手で、立川流立川談志門下)からのこの落語会への参加は吉幸さんが初めてとのことでした。また、この落語会で初めての試みとして、三題噺をつくし師匠にやってもらうことになりましたが、このつくし師匠の三題噺の出来映えに、私は噺家の芸の凄さや、落語の奥深さ等を改めて思い知り、驚嘆することとなった次第です。
  三題噺が演じられるまでの流れは、吉幸さんの話の後、つくし師匠が登壇、一席演じた後、3人の観客からそれぞれ1題ずつを出してもらってから降壇。また吉幸さんが一席やっている時間につくし師匠は舞台裏でもらった3つの題を組み合わせて、一つの噺に仕立て、吉幸さんの降壇後、また高座に上がって、その噺を演じるというものでした。つくし師匠がもらったばかりの題で噺を組み立てる時間は20分間くらいしかありません。

  3人の観客が全く無関係にそれぞれ一つずつ出したお題は、「馬」と「梨」と「雷」でしたが、つくし師匠が仕立てた噺は、「”白井梨マラソン”に90才になるおばあちゃんがエントリーし、事務局の手違いでうっかり参加証が送られたが、当日になって、主催者側は大いに困惑。大事故にならないよう、おばあちゃんを説得してなんとか参加を思いとどまらせようとしたが、おばあちゃんは拒否。すったもんだの末、おばあちゃんは、もう一つの趣味である馬に乗ってこのマラソン大会に参加することになりました。しかし、レースの途中で雷が鳴り、大雨となったため、マラソン大会は途中で中止に。主催者側のアナウンスで、すべてのランナーはレースを断念しましたが、馬に乗ったおばあちゃんだけはそのままゴールイン。記録証を出すように主催者に迫り続ける」というもの。
  「白井梨マラソン」というのは、この地域寄席の地元で梨が特産物である千葉県白井市で、実際に毎年開催されているマラソン大会のことです。3つのお題の内、「梨」の扱いについてはこの大会を舞台にすることでクリヤー。「馬」と「雷」も巧みに絡ませています。このおばあちゃんや、主催者側の大会会長や事務局の女性などのキャラクターを際立たせての演じ分けや、馬で疾走するときの「パララッ、パララッ」という形態描写なども、見事なものでした。おまけに、「マラソン大会は”雷”で”うま”くいかなかったので、記録証は”なし”」というオチがちゃんと付いて、まさに落語の定石通りに締めくくられました。
  会場はたびたび爆笑の渦。日本の伝統話芸と、それを担う芸人の素晴らしさに大いに盛り上がりました。横浜から千葉県まで、片道2時間近くかかりますが、今後とも可能な限りこの地域寄席に参加したいと改めて思いました。