秋の想い出

  このブログに秋の想い出を書き留めておこうと思いつつ、例年以上に何かと忙しく、やっと時間ができたときにはもう師走も半ばという状況です。今年の秋の中で何が一番想い出として残ったかと云えば、孫のYちゃんの小学生となって初の運動会。但しこれは、仕事の関係で午後から少ししか見ることができなかったため、次の想い出として書き留めておきたいことは、信州に旅行して戦没画学生の絵を集めた美術館「無言館」を初めて訪れたことです。
  大学時代の同期8名による軽井沢ゴルフ大会の前日、軽井沢よりも新幹線で駅3つ先の上田市内をみんなで観光し、上田城趾、旧街道柳町池波正太郎真田太平記念館等を見たあと、タクシーで上田市郊外の無言館に行きました。丘の上の林の中にある、コンクリート打ち放しの武骨なデザインの建物の重たい扉を開けると、入場券の売り場などはなく、すぐに作品が展示してあります。そこからはずっと、先の大戦に学徒出陣等で召集され、戦死や戦病死をした画学生達の遺作が展示してあります。
  無言館は、戦時中に東京美術学校を卒業した野見山曉治氏が戦前に夭折した画家達のデッサンを集めて1979年に開設した「信濃デッサン館」の分館として、1997年に開設されたということです。戦没画学生約百名、約6百点の作品の大半が、野見山氏に協力をし、現在ここの館長を務める窪島誠一郎氏によって集められたとのこと。窪島氏は実父が作家水上勉氏ですが、幼少期に生き別れとなった後、養父母が戦争を挟んで苦労しながら自分を育ててくれた、そのことへの感謝の思いもこの館の建設につながっていると、同氏の書いた文章にありました。
  自画像や風景、家族、妻などを画いた作品を1点ずつ見ていくと、素朴で、真面目で、逞しかった、戦前(そして戦後もしばらくはあった)の日本人像がしのばれ、また、その当時の日本の風景がしのばれます。心ならずも絵筆を銃に持ち替えて戦争に臨んだ彼らが守りたかった人や風景がまさにそこに描かれており、厳粛な気持ちになります。
 ある若い女性を描いた絵のコメントには、これを描いた画学生は、出征の直前、外では既に出征兵士を送る日の丸の小旗が振られている中で描き続け、「生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから」と、その絵のモデルになった恋人に言い残して戦地に発ち、結局帰って来なかったとありました。
  無言館は、「すすり泣きが聞こえる美術館」と言われているそうですが、画学生達の無念の思いが痛切に伝わって来るとともに、戦争の残酷さや虚しさを思わずにはいられない場所でもあります。「アンネの日記」や「聞けわだつみの声」などの書籍、「二十四の瞳」などの映画、広島の原爆資料館の見学などを通し、とにかく、どんなことがあっても再び戦争を起こしたり、戦争につながることを許してはならないと思っている私ですが、絵画、それも戦争画ではなく、普段の人々や風景を描いたものを通して、反戦の気持ちを改めてこれほど高めてくれた場所はありませんでした。
  出口で千円の入館料を払い、少し離れたところにある新館の絵も見てから、帰りは上田電鉄の塩田駅まで乗り合いバスに乗って行くことにしましたが、そのバスが来るまで待った無言館横の公園から見下ろした風景は素晴らしいものでした。かつて、子どもが小さかった頃に家族旅行で何度も訪れた信州。山があり、田園や果樹園、牧場があり、その間を縫って千曲川が流れ、仕事が忙しすぎた四十代の頃には、脱サラして移住したいとも考えたことがあった信州でしたが、無言館に連なる丘の上からの風景に、一瞬のノスタルジアを感じ、デジカメを持っていなかったので携帯電話で撮った写真が次のものです。この後入った公園横の喫茶店で店主がネルドリップ式で1杯ずつ淹れてくれた珈琲も絶品でした。
 無言館新館
 無言館横の公園から見た上田の風景