イスラム国問題に思うこと

  後藤健二さんがイスラム国に惨殺されて2週間ほど経ちました。自己責任論がネット上等で議論されたり、国会で政府の対応について野党の追及が行われたりなどしましたが、他の多くの事件の場合と同じく、この事件もいずれあまり話題に上ることもなくなっていくことだと思います。
  私は、イスラム国が流す写真等で見る限り、後藤さんが最後の最後まで背筋をぴんと伸ばし、毅然とした表情でいたことに少しだけ救われた思いがしています。武器輸出で関わった湯川さんを助けるために危険な地域に入って行ったことの問題を指摘する人もいますが、報道されているように、彼の行動の根底には、常に紛争地域で一番犠牲になる子どもたちの現状等を世界中の人たちに知らせることがあったのではないでしょうか。彼の澄んだ目は、最後まで、志の高さを表しているようでした。
  後藤さんの後に公開された、ヨルダン人パイロットが生きたまま焼き殺された事実などとも併せ、イスラム国の残虐非道さは際立っており、私も、この危険な集団の無法を一刻も早く止めさせる対応を講ずる必要がある。そのために日本は何をなすべきかを議論すべきだと思います。ただ、その議論の時に考慮すべき点として、次のようなことがあるのではないかと感じられてなりません。
  それは、イスラム国や、その母体ともなっているそれぞれの地域のイスラム原理主義に基づくテロ集団の非道さを以て、イスラム教自体や、それを主な宗教とする国々との対立構造のようなものをつくってはいけないということです。十字軍の遠征など、その昔からキリスト教イスラム教という形で対立していたヨーロッパの国々では、現在は移民の受け入れに基づくいろいろな摩擦が生じたりしています。キリスト教徒の多いアメリカでも、特に「9.11事件」以降は、国民に反イスラムの感情が強くなっているようです。
  翻って、神道に由来する習俗行事や葬儀の際の仏教くらいしか宗教色のない日本では、長い歴史上にも現在にも、イスラム教との間に特段の摩擦関係が生じたことは一度もありません。私としては、13世紀にイスラム教徒がインドに侵略して仏教指導者や信者を皆殺しにし、以来、お釈迦様の祖国インドでは仏教が途絶えたことが残念でなりませんが・・・。
  そもそも、今回のイスラム国のテロ以上にもっと大きな人類史上の汚点となっているできごとは、イスラム教に関係のないところで起きています。例えば、ナチスドイツによるユダヤ人のホロコースト(この語源は、「獣を火あぶりにして神前に供えること」だそうです)では600万人のユダヤ人が犠牲になりましたが、これは、キリスト教ユダヤ教、あるいは人種上の対立に淵源しているといえます。
  また、アメリカによる広島や長崎への原爆投下や、東京大空襲ではそれぞれ、約14万、8万、10万という、多くの市民の命が奪われました。このことが、非戦闘員や非軍事施設への攻撃や、不必要な苦痛を与える兵器の使用禁止を定めた国際法に違反したものであることは、戦後の日本の裁判所でも認めているところですが、原爆投下が戦争の終結を早めたとする戦勝国側の論理のために、これまで国際的に問題にされたことはありません。
  そして私は、戦後の日本に民主主義を根付かせて復興を支援し、現在同盟国となっているアメリカとの友好関係は大切にしなければならないと思う一方、原爆投下やベトナム空爆イラクとの戦争等々、アメリカという国がこれまで正義のためと称してとってきた軍事行動の中には、何か間違ったものがあるのではないか。イスラム国の問題を解決していくためには、これらの検証が欠かせないのではないかと感じています。
  非白人民族、非キリスト教国、非民主主義国等に対するアメリカ的価値観からの排除思想が根っこにあるのではないか、そのことが他国への軍事介入や非情な空爆等をためらわずに行わせるもととなっているのではないか。世界の警察官として戦後世界の中でアメリカが果たしてきた役割の評価よりも、グローバル経済の名の下での経済格差の広がりも含め、アメリカ的なやり方や価値観の押しつけにも問題があるのではないかということです。
  スンニ派シーア派の部族対立という要素も大きいとはいえ、今日のイスラム国の問題は、1990年のイラクのクエート侵攻に対するアメリカ主導の多国籍軍の介入以降のゴタゴタを引きずっているものであることは多くの識者が指摘していることです。フセイン政権の横暴振りは確かに問題であったとはいえ、クエートへの侵攻は別として、他の多くはやはり国内問題として介入すべきではなかったのではないか。
  他国の価値観から見れば容認できないようなことも、その国の国内問題として気の毒だが介入できないという問題は多々あります。例えば、憲法で国民の銃所持が認められているアメリカでは、しばしば銃の乱射事件が起きて子供も含む多くの犠牲者が出ていますが、アメリカ国民自身がその愚に気がついて改めない限り、他国民にはどうしようもありません。宗教や民族等の違いのため、同じ国民同士が対立し合い、殺し合うという国は結構ありますが、これも基本的にはその国自身の問題で、他国はせいぜい難民の受け入れくらいしかできないというのが、厳しくとも現実的な対応といえます。
  もしどうしても他国に軍事介入するとすれば、アメリカやその有志連合というような形でなく、国連の決議に基づく国連軍としての介入しかないことを徹底すべきではないでしょうか。今回のイスラム国の問題では、国連の人権理事会が非難決議を採択し、調査団の派遣を決めたということなので、それらの動きを見守り、国連の中で日本が協力できることをしていくしかないと思います。アメリカにただ追随だけはしない・・・。それがアメリカの友好国として、真に日本がとるべき立場ではないかと考えます。