横浜マラソン

  先々週の日曜日に行われた第1回横浜マラソンの10kmの部に娘が参加。私もそのサポート役を務め、この大会を楽しんできました。 
  ここ2、3年、娘はYちゃんの幼稚園時代のママ友などに誘われて多摩方面の小さなマラソン大会で5kmや3kmを走っていたようですが、今回は初の10kmへの挑戦。それも、東京マラソン並みの大きな大会(フルマラソン参加者約2万3千人、10kmの部参加者約1千人)でのデビューです。結婚して横浜を離れて既に10年近くになりますので、メイン会場の横浜パシフィコでの事前のゼッケンや記念Tシャツの受け取り、当日の道案内等は、横浜に住み、自分でもタートルマラソン5kmの部など大会参加の経験がある私が買って出たというわけです。
  大会前日、娘一家は我が家に来て泊まり、当日は、7時半までに着替えて荷物を預け、8時までにはスタート地点に整列をしなければいけないというので、私と娘は早起きをして6時半頃には家を出、7時過ぎにはメイン会場に到着という慌ただしさです。この間、横浜駅から地下鉄のみなとみらい駅までは大会に参加する大勢のランナーであふれかえっていました。よく見ると、ランニングウエアの上に透明のビニールの雨具を被ったランナーが多くいました。ビニールのゴミ袋に穴を空けて被っているランナーもいます。着替えた荷物を決められた窓口に預けた後、7時半頃には娘は選手しか入れないゾーンに行ってしまいました。 
  ビニールの雨具ですが、後で娘に聞いたら、皆さん寒さ対策に被ってきて、スタート直前に脱いで捨てていったらしいです。主催者の発表では、スタート時点(8時半)での気温は8度とのことでしたが、雨の心配はなさそうだったものの、曇り空で北風があってとても寒く、長袖のランニングウエアだけでこのような準備もなかった娘は、スタート地点に並んでスタートするまでの1時間くらい、よく耐えたものです。スタートまでの間は横浜市長など主催者側の挨拶等があったようです。走りやすくかつお洒落なランニングウエアと併せ、雨、風、寒さ等、大会当日の天候等に応じた対策などは、大会参加経験を多く積むことによって会得していくものだと思いました。
  娘を送り出した私はどうしていたかというと、とにかく寒いのでクイーンズスクエアビルの中に入り、喫茶店はまだやっていないので、通路に置かれたベンチに他の同様な方たちとともに座って時間が来るのを待つのみ。8時半直前に下の道路に降りました。スタート地点から1km付近ですが、道路脇は既に結構な人出です。少し待っていると、先導のパトカーなどが来て、トップランナーが登場。その後は数人、次ぎに数十人というように段々数が増えながらランナーが走ってきましたが、その早いこと。招待選手の胸のゼッケンは、番号ではなく名前が書いてあるのですが、ゲストランナーのワイナイナ選手ほかケニアの選手も駆け抜けました。
  その内、「間寛平さんが来た」との声に振り向くと、寛平さんが沿道の観客と笑顔でハイタッチしながらすぐそこまで来ています。案外ミーハーなところがある私も慌てて手を差し出すと、しっかりとタッチをしてくれました。すっかり嬉しくなってさらに待つこと数分。ランナーのかたまりが大きくなって道路いっぱいに広がった集団の中に、ついに我が娘を発見しました。結構速いペースで走っています。10kmの部の参加者はフルマラソンの参加者の一番早いクラスと同じスタート位置(Aブロック)からのスタートであったので、こんなにすぐに走って来れたのだと思います。娘の名を呼んだりするのは恥ずかしいので、「頑張れ!」とだけ集団に向かって声をかけましたが、少し感動しました。
 ※スタート直後
  次ぎに必要な行動は、10kmのゴール地点、山下公園氷川丸の近くへの移動ですが、みなとみらい駅まで急ぐ途中で「元気にスタートした」ことをみんなに知らせようと家に電話をすると留守。ママの応援をするために、パパ(娘の夫)とYちゃん、Kくんはゴール地点の山下公園に9時半までに来ることになっていましたが、私の妻が駅まで車で送って行った後のようでした。地下鉄を元町・中華街駅で降りて山下公園に向かうと、先ほどのみなとみらい地区よりもさらに大勢の人たちが沿道を埋めています。娘を見つけようと人の肩越しにランナーの集団に目をやりながら、一方で、パパとYちゃんたちを見つけようと周りを見渡す必要があり、大変忙しくなりました。
  するとすぐに、走ってくる集団の中に娘を発見。スタート後のスピードを保ったまま走りすぎていきました。10kmのコースは、山下公園前を過ぎてから本牧ふ頭の方に曲がって(ここでフルマラソンとコースが分かれる)、さらに3kmほど走ってからまた山下公園に戻り、氷川丸付近のフィニッシュゲートにゴールということになっていましたので、パパとYちゃんたちはゴールするママを待つしかなくなりました。
  そこにパパから、「今、横浜駅みなとみらい線に乗った」とのメールを受信。家を出た時間に比べると少し遅いなと思ったのですが、後でこの原因を知ってビックリするやら安堵するやら。JR駅で出発間際の電車があったので、パパが慌ててKくんを抱っこして乗り込んだところが、すぐ後に付いて来ているはずのYちゃんがおらず、そのままドアが閉まってしまったそうです。パパは、キッズ携帯電話を持っているYちゃんに、次の電車に乗り込んで横浜駅で降りるよう指示したらしいですが、Yちゃんが賢かったのは、プラットホームにあるキオスクのお姉さんに「パパと弟が今の電車で行っちゃったんだけど、私はどの電車に乗ったらいいですか」と聞き、「そこの電車に乗って、次の駅で降りなさい」と教えてもらってその通りにして、無事にパパたちと再会できたことです。一人で電車に乗っている間、とても不安だったのではないかと同情したのですが、後でYちゃんに聞いたら、「あやとりをしていたら、すぐに横浜に着いちゃった」とのこと。また同じようなことがあってはいけませんが、間違いなく一つ成長しました。
  というわけで、みんなが娘のゴールに間に合うかどうか微妙になってきたのですが、私はともかくフィニッシュゲート前へ。空気で膨らました大きなゲートの上部に刻々とタイムが出るのですが、1時間を過ぎてすぐ頃、ついに娘がゴールしてきました。大して疲れた様子もなく、係の人の前を歩く娘に「おーい」と声をかけるとにっこり。ゴールした人には水のペットボトルや完走メダル、記念タオルなどが渡され、次いで、先ほど預けた衣類を渡す場所に行って着替えて来ることになっていましたので、それを待っていましたら、そこにパパから「今着きました。どこにいますか」との電話。すぐに再会してみんなでママの戻ってくるのを待っていたら、着替えてコートを羽織り、オリンピックの金メダルのような完走メダルを首に掛けた娘が登場。朝起きたときにはもうママは出かけてしまっていて寂しかったKくんが全身で喜びを表しながら、ママに抱きついて抱っこをせがみます。疲れているはずの娘もにこにこ顔でKくんを抱っこ。パパはカメラでパシャパシャ。私も幸せいっぱいな一家4人を撮ってあげました。
 ※ゴール地点
  その後は、お茶でも飲んでいこうということになり、探しましたがどこも満員。少し歩いてホテルニューグランドのカフェが空いていましたので、ここでゆっくりすることができました。Yちゃんは大きな桜パフェを一人でぺろりです。
  参加したランナーのタイムは、数日後にインターネットで知ることができるのですが、それによれば娘は、号砲が鳴って(タイム測定が始まって)からスタートラインを通過するまでの時間等を差し引くと、60分をやや切るくらいのタイムでした。10kmマラソンの平均的タイムは、男性が60分をやや切るくらい、女性がやや超えるくらいと言われていますので、初出走としては好記録だといえます。娘に言わせると、「Aブロックで、フルマラソントップランナーたちと一緒のスタートだったので、ぐんぐん引っ張られるように走ったのが良かった」とのこと。「周りのランナーのように、沿道の声援に手を振るような余裕は全然なかったが、苦しそうな表情をしながら走るのだけはすまいと思って走った」とも言っていました。沿道の応援の人たちを結構意識するもののようです。
  実は私は、5kmの壁を何とか破って10kmを走れるようになり、この横浜マラソンにも参加できるようになりたいなと考えたこともあったのですが、今回、この大会の様子を見て、すっかりそれをあきらめました。とにかく沿道の観客が多い。その中で娘のように完走できるなら良いのですが、途中で歩いたら本当にカッコ悪いことになります。今回も、まだ山下公園前なのに歩いていたフルマラソンのランナーに向かって、「歩かないで走ってよっ! せっかく参加できたのにもったいないぞ。俺たちは抽選に落ちたんだぞ」てなことを言っている観客がいましたが、5kmでも途中で歩くことのある私は、とてもこんなプレッシャーに耐えられません。それに比べると、荒川の土手を走るタートルマラソンは、沿道には大会関係者かボランティアがパラパラといるくらいですから、気兼ねせずに歩けます(!)。
  私の友人や後輩にはマラソン好きがたくさんいますが、おそらく娘も、彼ら、彼女らのように、10kmの次にはハーフ、そしてフルマラソンと、距離を伸ばしてあちこちの大会に参加するようになるのではないかと思います。走ることは心身の健康に良いですし、大会に出て完走した後はものすごい達成感があります。沿道の声援を受けながら走れば、普通の人でも主役になれます。
 とりあえず私は、5km走に向けてまた練習を再開しようと心に誓ったことでした。