歳時記

  横浜シティウオーク大会で妻と一緒に20kmを歩いたり、「徘徊クラブ」(70歳前後のおじ(い)さん4人のオートバイツーリングクラブ)の仲間と1泊ツーリングに行ったりと、活動的に過ごした日もあった一方、年度の切り替わりで仕事が忙しかったり、週末に天候不順が続いたため、表向き、変化のない日々を過ごしています。そういう中で、妻や友人には「また新しもの好きが始まった」と揶揄されそうですが、このところ密かに夢中になっているのが、歳時記を読むこと。
  それも、古今を通じて最大規模の歳時記と思われる、昭和34年に刊行された「平凡社俳句歳時記」です。春、夏、秋、冬、新年の5巻に分かれ、全巻で3千頁を超えるボリューム。価格のことまで言うのは品がありませんが、全巻で1万3千円近い高額さ(裏話をすると、電子書籍の2割引プラス35%のポイントが付くので、実質7千円程度)でした。
  なぜこういう挙に及んだかというと、キッカケは単純で、元職場の友人(私と同年)が短歌を本格的に始め、日経新聞の歌壇に毎週投稿していると聞いたことにあります。それまでは新聞の歌壇や俳壇に目を通すことはあまりなかったのですが、以来、友人の歌が掲載されているのではないかと毎週日曜日の日経歌壇に目を通す(未だに載りませんが・・・)うち、いつしか私は、歌壇ではなく俳壇、それも黒田杏子さん選の掲載句に心を引かれるものを見つけるようになりました。
  この選者に選ばれた句は、生活雑感を詠っても俗でなく、17文字に1字の無駄もなく洗練されている。余韻も多く、正統派の俳句の感がしました。こういう俳句なら作ってみたいと思いましたが、難しそう。なら、日経俳壇をより深く鑑賞するための参考にでもなればと、黒田さんの作句指導の本を読んでみることとし、電子書籍で黒田さんの「俳句、始めてみませんか」という、いかにも易しそうな本を買いました。そして、その本の最初の方で強調されていたのが季語の大切さと、季語を集めた歳時記の所持の勧めでした。歳時記は日々の生活事典にもなると書いてあります。
  で、これまで新書版の簡単な歳時記は持っていましたが、黒田さんのお薦めはもう少し本格的なものであるように感じたので、そのような歳時記を電子書籍の中で探していたときに出会ったのが前記、平凡社の本格的な5冊組であったということです。高価なのでまず「立ち読み」で各巻の初っぱな部分のみを読んでみましたが、膨大な季語とその個々が持つ意味や味わいの奥深さ、広がりなどの片鱗に触れたらやはり全部が欲しくなり、結局、大枚をはたく結果となってしまいました。
  この本は、各巻をこれが刊行された当時の主な俳句結社の主宰者等、一流の俳人が編者となって分担執筆しているのですが、特長は、気象学や民俗学など自然科学や人文科学の様々な分野の専門家による考証や参考も加えられているところ。各季語を含む古今の例句も多数紹介されており、作句をする人のための本であることは間違いないのですが、時候、天文、地理、人事、宗教、動物、植物に分類された膨大な季語毎に付された多方面からの解説は、俳句を作らない人にも十分楽しめて、日常の生活に大いに役に立つものばかりとなっています。
  購入後、毎日1回は、現在の季節の春か、もうすぐやってくる夏の季語を中心に拾い読みをしていますが、歳時記の知識のなかったこれまでの生活と、歳時記の豊かな知識に触れたこれからの生活は大きく変わってくるような気がしています。単純な私は、早速先日、歳時記からヒントを得て、ある集まりの案内文の冒頭に「百穀が春雨に潤う穀雨の候、皆さまにおかれましては・・・」などと書きましたが、もらった人たちは「なんだこいつ、急に」と思ったかもしれません。
  歳時記から得た知識を生半可な段階でうんちくとして披露しないよう自戒したいと思いますが、歳時記によって日本の暦や風土、季節行事などに関する知識や気づきが深まる毎に日本や古来からの日本人の素晴らしさを改めて感じ、日々の生活の中で思わず感動を口にする機会が多いこの頃です。
 最近、TVで、日本の職人のモノ作りが海外で評価されていることを紹介したり、日本にやって来た外国人が日本の科学技術や社会的なシステム、文化、芸術、観光地などを評価、感嘆したりするのを紹介する番組が増えています。これらはいかにも、自信をなくした日本人にそれを取り戻させるための意図がありありで、見ていてむしろ寂しくなってしまいます。日本人の誇りや自信を取り戻すためには、これらの誇張した大げさな番組作りではなく、歳時記に象徴される日本の文化を日本人自身が再評価すれば良いのではないかと思います。
 ぜひ孫子の代まで伝えていきたいものです。