共生社会

 前回ブログの通り、就労と育児の両立の問題を考える上で保育園の存在は不可欠ですが、その待機児童がなかなか減少しないという問題に、従来から関心がありました。保育所整備が進まない理由としては、特に都市部においては建設用地の不足があり、全国的には保育士の不足の問題もあるようです。
 そのような中、最近の新聞記事で、建設用地も見つかり保育所建設を進めようとしていたところ、近隣住民から建設反対運動が起こり、断念に至ったケースが結構あることを知りました。反対住民の意見にはいくつか理由があるようですが、どれも理解ができません。
まず、「子どもの声がうるさい」という反対意見について。少子高齢社会が急速に進展する中で、子どもの声が身近に響くことは、願ってもなかなかかなわないことです。多くの人は子どもの声に未来を感じ明るい気持ちになるのに、その声がうるさいと言う方はよほどの偏屈と言わざるを得ません。子どもたちを、夕方以降は園庭で遊ばせず、防音対策をした屋内で過ごさせる程度の対応を、保育所事業者に要求すれば済む話だと思います。
 ちなみに、我が家の近くには中学校があり、放課後や休日に吹奏楽部の生徒たちが練習する音が間断なく続くのですが、特にうるさいと感じたことはありません。むしろ、新入部員が多い1学期頃は「ブーカ、ブーカ」と雑音にしか聞こえなかった管楽器の音が、夏休みの終わる頃には軽快な音楽に聞こえるようになる過程を楽しんでいたりします。

次に多い反対意見は、「送迎する保護者の車や自転車が迷惑」というものです。確かに、僅かの距離なのに子どもを車で送ってきて、付近の道路に停め、他の車の走行や歩行者に迷惑を掛けるケースもあるようです。保護者の良識に待つところが大きいのですが、事業者の責任として、保育所の敷地内に保護者用の1、2台分の車寄せをつくる、それが不可能なら、近隣のコイン駐車場を確保しておくなどの対策が必要かもしれません。ただ、いずれにしても短時間のことなので、この理由のみを持って建設阻止にまでするのは行き過ぎだと思います。
 なお、新聞には、保護者が送迎用自転車で往来すると、自分が車を使うときに自転車と接触する等の事故を起こす心配があるので反対、という近隣女性の声も紹介していました。しかし、公道を自転車で走る権利を誰が奪えるというのでしょうか。これはあくまで、車を運転する人が注意義務を一層果たす必要があるだけだと思います。 要するに、車や自転車の問題は、道交法上の違反があるかどうかで判断し、対応を考えればよいと思います。 
 三番目の反対理由として、「そもそも保育所などつくる必要はない。乳児期には母親が育児をするべきだ」とか、「保育園が足りなければ、幼稚園に行けばいいではないか」というのもあるそうです。乳児期の保育は、母子の愛着関係の形成の面からも家庭で母親が行うほうが望ましいという意見は昔からあり、現在も育児休業期間の延長等が課題となっていますが、一方で、女性の就労の継続や活躍の場の拡大も社会的な大きな課題です。この問題の解決のためには、育児休業期間の延長や長時間労働の改善等により家庭保育の充実を図っていく一方で、良質な社会的保育の場を一層拡充していくことの両方ともを、バランスを取って進める必要があるとしか言えません。少なくとも、保育所のニーズがますます増大している現実をみれば、保育所の建設が不要との意見は全く認識に欠けています。
 また、「幼稚園に行けばよい」との意見は、幼保一元化が進まない中、子どもの預かり時間の違いなどの本質を全く理解していない意見といえます。
 自分の家がある地域に福祉施設ができると資産価値が下がる等の差別的な発言をする人は、従来からいるものです。このような人たちは、いわゆるお屋敷街等に住んでいて経済的には豊かなのかもしれませんが、自らの精神性の貧困を晒しているということに気がついていません。
 近年は、自分たちの地域に福祉施設があることを、地域資源の豊かさと捉え、温かいヒューマニズムの溢れる地域として、むしろプラス評価する人たちが増えています。資産価値は逆に高くなるのではないかと考えられます。実際、福祉施設も地域住民との交流に力を入れ、福祉施設を媒介とした地域のつながり等もできるようになっています。
 少子高齢化と人口減少が進む日本。みんなで助け合い、支え合って生きていきたいものです。