プロローグ

[[]] [[  ブログとやらを始めてみることにしました。題して「まご追い日記」。二人の孫の追っかけの中で掴んだ幸せを、しっかり記録しておこうという狙いの日記です。
 直接のきっかけは、サルの研究者である島泰三さんの書いた「孫の力・・誰もしたことのない観察の記録」(中公新書)に触発されたことにあります。この本は学術的な観点もある内容ですが、孫に注ぐあふれるような愛情とジジ馬鹿ぶりは私と同じです。
 いつの時代にも「子ども」は素晴らしいものですが、その素晴らしさを自分の子どもを育てているときには仕事にもかまけて十分には気がつかなかったかもしれない。しかしながら、孫を通してならゆとりを持って感じることができる気がします。
 このブログは、私の孫を通しての「子ども讃歌」であり、かつ、できれば、可愛い子どもたちの未来のために、この日本や世界をどうしていけばよいのか、ささやかながら考察する私の「課題のページ」にしたいと思っています。

 さて、このブログに登場する私の孫は、今のところ次の2児です。
  Yちゃん→2007年8月生まれ。3歳になったばかり。女児。娘夫婦の子。
  Lちゃん→2010年7月生まれ。新生児。女児。息子夫婦の子。

  自分の孫なのにどちらも「ちゃん」付けで呼んでいるのは、自分の子どもではなく、息子や娘夫婦の子なんだから、あまり出しゃばらずに遠慮して、丁寧に呼んだ方がよいという、私の妻の発案もあって、生まれたときからずっとそうしています。
 ブログをアップしたのは今日ですが、記録の都合上、日記は少し遡ります。


2010年7月a日
 Lちゃんが生まれて4日目。妻と娘一家とともにK市の私立の産科病院に初出産のママのお見舞いも兼ねてご対面に行く。出産の日も駆けつけた妻以外は、初めて見るLちゃんに緊張気味。Yちゃんは、待望の従妹のほっぺたを大人に促されて自分の人差し指でそっと撫でるが、宝物に触れるように真剣なまなざし。出産時の体重3,100グラム。私は、腕時計や胸の携帯電話を外し、Lちゃんに当たる物がないようにしてから落ち着いて抱き上げたが、生まれたての子の軽さや壊れそうな感触は、その後の成長を確かめる際の原点となるものだ。
 私たちが病室にいる間ずっと、Lちゃんはすやすやと眠っていた。


2010年8月b日
 数日前から娘とYちゃんの二人だけで我が家に遊びに来ていたが、かねて療養中であった娘の夫の父親(Yちゃんのパパ方のおじいちゃん)が危篤状態になったとの知らせを朝受け、急遽、午後に自分たちの家に戻ることになった。
 そのため、実際には明後日のYちゃんの3歳の誕生日のパーティを昼食時に前倒しで行うことになる。本来はパパも来て明後日に一緒に行う予定であったが、どうなるか分からないため、依頼によりパパ抜きで行うもの。部屋のデコレーションを私が行い、妻は和菓子屋に赤飯、洋菓子屋にお誕生日ケーキを買いに走る。
 それらしき雰囲気もでき、妻のアメリカの友人から届いていたプレゼントなども開けながら、Yちゃんは元気いっぱい。「Yちゃんいくつになったの」と聞くと、ちゃんと指を三本出して、大きな声で「三歳!」と叫ぶ。ケーキの3本の蝋燭は一度では消えなかったが、二息目では消すことができた。パパに見せるためにも、写真やビデオに収める。

 思えば3年前の夏に娘は里帰りをして出産。産後1ヶ月余、我が家に母子で滞在したので新生児時代のYちゃんの思い出は鮮明だ。その当時に私が作った詩らしきものがある。

・・・「吾孫へ」・・・
おじいちゃんが初めてYちゃんに会ったのは
医療センターの新生児室の窓ガラス越しだった
おむつだけの裸ん坊で首から上は透明な酸素ケースを被っていた
次の日は酸素ケースは無かったがやはりおむつ一つで
お腹にいくつかセンサーを着けていた
おじいちゃんは 女の子なのに何で裸ん坊のままにしておくのか
生まれたとたんにこの仕打ちはないだろうと
ちょっぴり怒ってたのだ
 ・・・・・
だけど 生まれて4日目にYちゃんに会ったとき
おじいちゃんは神を見たと思った
日本の神様だ
純白の産着と下にピンクのケットを掛けられた
巫女さんのようなYちゃんが
本当に神様に見えたのだ
Yちゃんに絶対の無垢と天壌無窮の未来を感じたのだ
 ・・・・・
おじいちゃんは Yちゃんのママがお産で里帰りしたその晩から
四十五年間断てなかったお酒を止めた
Yちゃんが無事生まれてくるためのささやかな願掛けだったのだ
たったこれだけの代償でこんな至福が来るなんて
一ヶ月を過ぎてYちゃんはもう明日お家に帰る
これからはパパとママとYちゃん3人の生活が始まる
うんと元気に生きて これからもおじいちゃんの神様でいてほしい

 ・・・・・
 このとき、本当に神様のように感じたみどり児は、今や体重15kg。毎日の外遊びで田舎の子のように日焼けし、イメージはだいぶん変わったが、天真爛漫に私を楽しませてくれている。ちなみに最近は、「大人になったら何になりたい?」と聞くと、パパおじいちゃんのお見舞いにこのところしょっちゅう病院に行っているためか、「看護師さん!」というのは分かるが、併せて、「お相撲さん!」とも言うのにはびっくりさせられる。パパもママも特に関心はなく、TVで相撲を観たりしているわけでもないので、ひょっとしたら体格がいいから誰かに、「お相撲さんみたいね」などと言われたのかもしれないし、あるいは、我が家に来たときに大相撲のカレンダーを掛けてある部屋で寝泊まりしているからかもしれない。
 なお、お酒は出産直後の祝い酒から再開して、その後はずっとほぼ毎日飲んでいる。


2010年8月c日
 Yちゃんの前倒しの誕生会を行った4日後、娘の夫のお父様が亡くなられた。妻とともにお通夜に行くと、Yちゃんは上から下まで黒の衣装や靴姿(ベビー用品の量販店にちゃんと売っているらしい)でママと一緒に親族席に座り、読経などを大人しく聞いている。ご焼香もママの見よう見まねで摘んだお香を拝みながら3回行っている(私の宗派は浄土真宗のために香を拝んだりはしないが、他の宗派は拝むところが多い)。
 Yちゃんが成長したと感じるのは、大人しくしていなければならない所では、大人しくしておられるようになったこと。パパおじいちゃんの病院にお見舞いに行ったときは、自分で「シー」と唇に指を当てながら病室に入っていったそうだが、この日も、また、妻の話では翌日の告別式のとき(私は仕事のために参列できなかった)も、静かにしていたそうだ。
 そして、成り行きをしっかりと見つめ続け、おじいちゃんの棺が斎場を車で出るときには、「おじいちゃんどこに行くの?」と私の妻に真剣に聞いていたそうだが、子供心にも人間の生から死への移行を感じ取ったのではないかと思われる。おじいちゃんの棺に花を入れたり、お骨を拾ったりもしたそうなので、生前の楽しかったこととともに、パパおじいちゃんの思い出として残ることだろう。


2010年8月d日
 息子の奥さんのご実家に、誕生1ヶ月を過ぎたLちゃんのお祝い会にお呼ばれし、妻とともに出かける。メールで写真は時々送ってもらっていたが、直接会うのは1ヶ月ぶりの孫は、母乳だけで育てていたためにやや出ていた黄疸症状が医師の指示によるミルクの混合で治まり、体重も順調に増えているようで顔が丸々としている。
 生まれて直ぐ行ったときも、今日も、大泣きすることがなくとても静かな赤ちゃん。仕事が忙しく帰宅が遅い息子は夜泣きで自分の睡眠が妨げられることを覚悟していたが、父親思いなのかLちゃんは、母親を起こす程度に泣いて母乳を飲ませてもらうと、直ぐにまた寝てしまうそうだ。心肺機能を強化するためにももっと大泣きした方がいいようにも思うが・・・。Lちゃんの叔母に当たる私の娘も、息子に比べればあまり泣かない赤ちゃんであったが普通に育っているので、女の子の育てやすさと受け止めておけばいいのだろう。]]