鎌倉

  「武家の古都・鎌倉」の世界文化遺産の登録が、ユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)の「不登録」勧告により頓挫しました。鎌倉市の隣の横浜市に住む私としては誠に残念無念の結果で、そんなバカなという思いで一杯です。
  不登録勧告の理由としては、多数の社寺や切り通しなどで武家の精神的、文化的な側面は示されているが、武家政権が確かに存在していたとする政庁跡などがなく、都市計画の様子なども見られない、といったことをメインに、①国宝として保護されているのは円覚寺舎利殿鎌倉大仏のみ、②鎌倉時代の構造物は鎌倉大仏瑞泉寺庭園、切り通しくらいで、他は室町時代に造られたり、江戸時代に再建されたもの、③都市化の影響を免れていない、等々とされています。
  「同一国内での類似物件の追従登録は認めない」とのユネスコ指針があり、京都や奈良の社寺との違いを強調するために「武家の古都」として登録を目指したのだと思いますが、今回、イコモスで事前調査を担当したのが中国人で、「武家文化がその後の近代日本の軍国主義に結びつき、アジア侵略のもととなった」との観点から不利に働いたのではないかという見方もあります。まさかそんなことはないとは思いますが、京都、奈良はともかく、日光や平泉が登録されているのになぜ鎌倉がダメなのか、イコモスの結論には納得がいかず、そもそもイコモスの調査や調査員の資質にどれだけの信頼性があるのかという疑問はぬぐえないところです。
  と、八つ当たりしていても始まりませんが、実は、私も鎌倉の歴史には共感できないところがあります。鎌倉幕府創建の前後やその後の歴史は、武家同士の殺し合い、裏切り、騙しなどに満ちた血塗られたものがほとんどです。鎌倉の社寺の多くには、それらに絡んだ出来事が存在しています。鶴岡八幡宮境内における源実朝の暗殺、そして暗殺した甥の公暁も暗殺をそそのかした三浦義村によって口封じのために殺される。非情なのは、頼朝が静御前が生んだ実弟義経のわずか4ヶ月になる子を由比浦に棄てて殺したこと、等々。司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの「三浦半島記」もそれらの記録に満ちていて、読んでいて辟易した思い出があります。
 しかしながら私は、それでも鎌倉が好きでならず、世界に誇る歴史と景観の地であると思っています。殺伐とした武家社会の中で鎮魂と祈りのために造られてきた多くの社寺。その宗教的伝統は、芸術や文化等も伴って、その後の8百年を超える平和な時代にも護り継がれてきました。何よりも、緑濃い山と開けた海に囲まれたロケーションの良さは抜群です。春の段葛などの桜、5月の山や社寺境内の新緑、夏の花々、晩秋の紅葉など、年間を通して素晴らしい景観に恵まれています。首都にすぐ近い住宅地であるにも拘わらず、歴史的な遺産と自然が護られ、調和をしている。世界遺産の新しい形を示していると言えます。
 緑あふれる鎌倉の民家
  私と妻は、鎌倉のハイキングコースを歩き、社寺に詣で、海岸べりを歩くのが大好きです。孫のYちゃんも付いてきたことがあり、立派に歩き通しました。また、Lちゃんママはオーガニックを大切にする自然派ですが、鎌倉に多いそのような店が大好きで、ときどき妻と一緒に訪ねています。我が家にホームステイしたことのある海外の若者もみな、鎌倉を案内すると大喜びします。鎌倉の大仏様の大きさと建立年数の古さにびっくりし、円覚寺等のたたずまいに姿勢を正すなど、日本文化や仏教に大きな関心を持つきっかけとなっています。
  余談ですが、与謝野晶子は「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」と詠んで、他の歌人から「仏様を人間の美醜のレベルで取り上げるのはけしからん」という批判を浴びたそうですが、鎌倉には禅宗系列の凛とした雰囲気の漂うお寺が多い一方、鎌倉大仏鶴岡八幡宮など親しみやすい社寺も多く存します。
  そのためか、鎌倉には現在でも年間2千万人近い観光客が訪れており、世界遺産に登録されてこれ以上観光客が殺到しては困るという声も市民の中にはあったようです。しかしやはり、世界遺産に登録されて厳しい規制の中で景観を護っていくべきであると私は思いますし、神奈川県知事や鎌倉市長などはいったん推薦を取り下げて、改めて登録を目指して取り組んでいくとのことですので、それを見守り、応援していきたいと思います。ただ、たとえ登録されなくとも、鎌倉はあくまで、私の心の中の世界遺産であり続けます。