追悼文集

  昨年5月、肺がんのために74歳で亡くなった従兄を偲ぶ追悼文集が、一周忌に合わせて刊行され、私のところにも送られてきました。同じ福岡県に住んでいましたので、それこそ幼少期から高校時代まで、従兄弟同士の交流が多々あったのですが、私が大学入学で上京して以来はたまに電話があったりするくらいで、数年に一度くらいしか会っていませんでした。
  従兄は、大学の英文科を出て県立高校の英語の教諭を務めていましたが、40代の頃のある夏、東京の私の職場にふらりと訪ねてきたことがあります。開襟シャツに麦稈帽子という出で立ちで、昔からの飄々とした性格そのまま、田舎の小父さんそのものでした。若い頃から熱心なクリスチャンであることは知っていましたが、今回の文集をいただき中を読んで初めて知ったのは、本格的な登山とともに、シューベルトの歌曲等を歌うのが趣味であったということ。
  そういえば、福岡に帰省した折りに、新築したばかりの従兄の家を訪ねましたが、ヨーロッパの山小屋を模したという、天井に太い梁が露出している広い居間がありました。そして、そこで友人達を招いてときどき歌曲のミニコンサートを開いていたという本格さで、従兄は亡くなる数ヶ月前にも、歌ったそうです。
  文集にはその従兄の、学生時代の友人、高校教諭時代の同僚や教え子、教会の関係者、趣味の歌曲で交流のあった音楽家、学校や趣味の関係で付き合いのあった外国人、画家等々の実に多彩な人たちがその想い出を寄せ、それを3人の友人が編集者になってまとめています。
  また、ヨーロッパの山歩きをしたときの記録など、本人の遺稿も載せられていますが、家族や親戚の者の原稿は一つもなく、文集の性格を、内輪の追悼ではなく、公的な記録性を重んじたものにしたかったのではないかと思いました。
  装丁は、A4版横書きでハード製本ではありませんが、表紙の外カバーには歌曲の楽譜が写され、中をめくると最初にカラー写真の頁が40頁以上あり、その後に写真やカット入りの本文が120頁ほど続くというボリュームで、年譜も含め、従兄の生涯を浮き彫りにさせるに十分な内容でした。

  亡くなった方の追悼文集は時々いただくことがあり、我が家の本棚にも、ずっと以前に私と2人の姉で上梓した父のものも含め、10冊、10人の方々の追悼文集があります。詩集や闘病記といった形のものもありますが、故人を知る家族や友人、職場の元同僚といった方達の追悼の記が多いようです。
  中には少し変わったものもあり、元ジャーナリストで現在は文筆家の友人から贈られた母上の記念文集は、母上のエピソードを時系列でつないで小説のように仕立ててあり、私は読後感として、「これは、市井の一婦人の一代記というよりも、近代日本の曙となる明治から敗戦を挟んだ昭和を過ぎて平成の世までを、一人の知的な日本女性の生き様を通して見事に描ききった文学作品のように感じました」と、恵贈の御礼を書いて送りました。
  故人を偲んで追悼文集をつくる。この意義について考えるとき、私は、哲学者の木原武一氏の本に、フランスの哲学者の言葉から引用した「死は人間のすべてを消し去るのではなく、人間が生きたという『事実性』は不滅であるという意味で、死は、人間にとって何ものでもないと言うことができるのである」という件があるのを思い出します。この言葉自体には、宗教的な啓示にも近いものを感じます。
  確かに、個々の人間が生きたという「事実性」そのものは不滅と考えれば、その事実性を形に表す必要もなく、あるいは1枚の写真や墓標に名前と生年、没年を記すだけでもよいかもしれない。しかし、故人を知る人たちの心の中にある故人への想いを文章にして残せば、さらにその事実性が明確になって残ります。
  イエス・キリストの生涯や言葉を記した新約聖書は、2千年近くにわたって読み継がれてきていますが、それとは比較にならないものの、言葉や文字に残すことが、何も残っていないよりも意味があることは間違いありません。
  また、「モノやカネは消ゆるとも、メモリーは消えず」という言葉がありますが、物質的なもののはかなさに比べ、人間の心に刻まれた記憶や想い出は、特に大切にしたいものを中心に、その強さに比例していつまでも残るものです。追悼文集は、故人について抱くメモリーを、故人につながる多くの人たちが寄せ合って形にしたものともいえます。
  それらを合わせて考えると、追悼文集は、「残された人たちの故人へのメモリーを形にして集約することにより、その故人が生きたという不滅の事実性をより明確にするもの」という意味があると言えないでしょうか。